リーグはセルティックスの支配が終わり群雄割拠の時代を迎えたが、一方で薬物などの蔓延によりNBAの人気は低迷し、またABAとの競争のための事業拡大はリーグ全体の質の低下を招いた。カリーム・アブドゥル・ジャバーやABA出身のジュリアス・アービングらがリーグを牽引したが、人気の回復には至らなかった。
1976年 ABAが消滅。ABAの4チーム、サンアントニオ・スパーズ、デンバー・ナゲッツ、インディアナ・ペイサーズ、ニューヨーク・ネッツがNBAに加入し、チーム数は22に。
1979年 スリーポイントシュートが導入される。
どん底まで沈んでいたNBAを救ったのはマジック・ジョンソンとラリー・バードの登場だった。両者のライバル関係はリーグを活性化させ、80年代のNBAファイナルはジョンソンのロサンゼルス・レイカーズとバードのセルティックスのいずれかが争った。またマイケル・ジョーダンら次世代を担うスター選手らが続々とNBA入りを果たしたのもこの時期であり、また第4代コミッショナーに就任したデビッド・スターンはリーグのクリーン化に力を注いだ。NBAの人気は加速度的に増していき、チーム数は27にまで増加する。そして80年代末のバットボーイズの連覇を経て、NBAはジョーダンの時代を迎えた。
1980年 ダラス・マーベリックスが新設され、チーム数は23に。
1981年 ドラフトで岡山恭崇がゴールデンステート・ウォリアーズから8巡目の10番目で指名を受けるが入団せず。
1984年 サラリーキャップ制度導入。
1988年 シャーロット・ホーネッツ(現ニューオーリンズ・ホーネッツ)、マイアミ・ヒートが新設され、チーム数は25に。
1989年 オーランド・マジック、ミネソタ・ティンバーウルブズが新設され、チーム数は27に。
NBA史上最高の選手の一人に挙げられるジョーダン率いるシカゴ・ブルズがリーグを席巻し、2度の3連覇、6度の優勝を果たした。ジョーダンと個性溢れる様々なライバル選手との熱戦は世界中にテレビ中継され、アメリカ国内のみならず、海外のNBAブームにも火を着けた。そしてNBAの世界的な人気を決定的なものにしたのが、1992年バルセロナ五輪へのドリームチーム派遣であった。また海外出身のアキーム・オラジュワンが2年連続でファイナルMVPを受賞し、カナダに新チームを立ち上げるなどグローバリゼーションが進む一方、90年代は選手の年俸が高騰した時期でもあり、ブルズが2度目の3連覇を果たした1998年にはロックアウトが起き、開幕が大幅に遅れ、シーズンが短縮される事態に陥った。
1992年 ドリームチーム結成。バルセロナ五輪で金メダル獲得。
1995年 トロント・ラプターズ、バンクーバー・グリズリーズ(現メンフィス・グリズリーズ)が新設され、チーム数は29に。
1996年 アメリカ女子プロバスケットボールリーグWNBA設立。
1998年 リーグと選手会の労使交渉が難航し、ロックアウトに突入。
1999年 2月5日、ロックアウトにより遅れていた98 - 99シーズンが始まる。
21世紀最初の王朝はシャキール・オニールを擁し3連覇を果たしたロサンゼルス・レイカーズだった。またティム・ダンカン擁するサンアントニオ・スパーズも98-99シーズンを含む計4回の優勝を果たすなど、2000年代のNBAはウェスタン・カンファレンスに強豪チームが揃う西高東低と呼ばれる図式となった。しかし、2000年代のNBAの最大の特色は海外出身選手の急増であり、2002年、2005年、2006年のNBAドラフトでは海外出身選手が1位指名を受け、04-05シーズン以降3シーズン連続でシーズンMVPは海外出身選手が獲得しており、06-07シーズンにはシーズンMVPとファイナルMVPを海外出身選手が独占した。
2001年 イリーガルディフェンスの廃止(ゾーンディフェンスの解禁)。グリズリーズがメンフィスに移転。NBAデベロップメント・リーグ(通称Dリーグ)の設立。国境のないバスケットボールの開催。
2002年 ホーネッツがニューオーリンズに移転。
2004年 シャーロット・ボブキャッツが新設され、アメリカに29チーム、カナダに1チームの計30チーム、2カンファレンス6ディヴィジョンに。田臥勇太がフェニックス・サンズに入団。
2005年 新労使協定が締結され、ドラフト対象選手の年齢が引き上げられる。新服装規定が施行。
2006年 スポルディング社製の素材にマイクロファイバーを使用した公式球に変更した。
2007年 公式球の評判が悪く皮製に戻された。審判員の賭博事件がNBAの八百長疑惑に発展。