アメリカとカナダに全30チームがあり、東西2つのカンファレンス、さらにそれぞれ3つのディビジョン(各5チーム)に分かれて、10月から翌年4月までレギュラーシーズン82試合が行われる。
同ディビジョンチームとの対戦はホーム、アウェイ各2試合の4試合(計16試合)
同カンファレンス、他ディビジョンチームとの対戦は3 - 4試合(計36試合)
他カンファレンスチームとの対戦はホーム&アウェイの2試合(計30試合)
レギュラーシーズン終了後、各ディビジョン内の勝率1位、及びそれらのチーム以外でカンファレンス内の勝率上位5チームが、東西それぞれのカンファレンスで4戦先勝方式のプレーオフトーナメント「NBAプレーオフ」を戦う。
プレイオフはカンファレンス内の順位で組合せが決定(1位 - 8位、2位 - 7位、3位 - 6位、4位 - 5位)。それぞれ対戦する2チームで勝率が高い方に、(7戦目まで進んだ場合)一方のチームより1試合多くホームゲームを戦える「ホームコートアドバンテージ」が与えられる。※A:勝率が高いチーム B:勝率が低いチーム→AABBABAというホーム開催となる。
両カンファレンスを優勝したチーム同士で行われる決勝は「NBAファイナル」(6月上旬 - 中旬開催)と呼ばれ、世界各地に中継放送されて30億人が観戦していると言われる。
国際バスケットボール連盟 (FIBA) ルールとは異なる独自のルールがあり、その違いからオリンピック、世界選手権などでアメリカが苦戦を強いられる要素にもなっている。ただし、2010年10月から五輪や世界選手権で、2012年10月からは各国で、それぞれFIBAルールが改正され、3ポイントラインが50cm下がり、ペイントゾーンが長方形になる。これによって国際ルールとNBAルールが近づくことになる。
ノーチャージ・エリア:ゴール真下の半円より内側ではオフェンスのチャージングが適用されない。
パーソナルファウル6つで退場となる。
ゴール下のペイントゾーンが長方形である。
3ポイント・ラインが国際ルールのコートよりも約1m後方。
ディフェンス3秒ルール:オフェンスプレイヤーにマークマンとしてついていないディフェンダーは、ゴール下のペイントゾーンに3秒以上留まっていてはいけない。
NBAはバスケットボール誕生から約半世紀後に創設された。創設の目的はプロアイスホッケーに利用されるアリーナの空き時間を埋めるためであり、初代コミッショナーにはAHLの会長であるモーリス・ポドロフが就任した。1946年11月1日に、トロント・ハスキーズ対ニューヨーク・ニッカボッカーズの顔合わせで初めて試合が行われた。1949年NBLと合併し、ジョージ・マイカンがNBA入りした。
1892年 カナダ人体育講師ジェームズ・ネイスミスにより考案されたバスケットボールの初めての試合が行われる。
1946年 BAA創設。傘下チームは11。
1949年 ライバルリーグであったNBLを吸収合併し、NBAに名称を変更。傘下チームは17に。
この時期リーグは大きな2つの変化を経験する。その1つが24秒ショットクロック(ボールを保持したチームが24秒以内にシュートをしなければ、相手ボールとなる)の導入だった。NBLの吸収で17チームにまで膨れ上がったNBAだが人気は停滞し、1954年には8チームにまで減少した。このような状況を打破すべく導入されたショットクロックは、試合のテンポを早くし、より娯楽性の高いものとした。もう1つの変化は黒人選手の隆盛だった。当時のNBAは選手の大半を白人が占めていたが、1950年にはNBA初の黒人選手チャック・クーパーがドラフト指名され、1956年にはビル・ラッセルがNBA入りし、1959年にはウィルト・チェンバレンが新人にして得点王、リバウンド王、新人王、MVP4冠を達成した。1950年代前半はマイカン率いるミネアポリス・レイカーズがNBA初の3連覇を達成。後半にはラッセル擁するボストン・セルティックスがリーグを支配し始める。
1951年 ペイントエリア(制限区域)を6フィートから12フィートに拡大。
1954年 24秒バイオレーションルール(ショットクロック)を導入。
1960年代はセルティックスの時代だった。ラッセルを始めボブ・クージー、ビル・シャーマンらを擁したセルティックスは、名将レッド・アワーバックに率いられ、1958 - 59シーズンから65 - 66シーズンまでの8連覇を達成した。セルティックスがリーグを支配する一方で、チェンバレンの1試合100得点やオスカー・ロバートソンのシーズン平均トリプルダブル達成などの記録も生まれた。NBAは60年代末には傘下チームを14に増やすなどしようやく軌道に乗り始めたが、1967年にはライバルリーグABAが誕生した。
1960年 ジェリー・ウェストがミネアポリス・レイカーズに入団。
1964年 ペイントエリア(制限区域)を12フィートから16フィートに拡大。
1966年 ボストン・セルティックスが8連覇を達成。
1967年 ABA創設。
リーグはセルティックスの支配が終わり群雄割拠の時代を迎えたが、一方で薬物などの蔓延によりNBAの人気は低迷し、またABAとの競争のための事業拡大はリーグ全体の質の低下を招いた。カリーム・アブドゥル・ジャバーやABA出身のジュリアス・アービングらがリーグを牽引したが、人気の回復には至らなかった。
1976年 ABAが消滅。ABAの4チーム、サンアントニオ・スパーズ、デンバー・ナゲッツ、インディアナ・ペイサーズ、ニューヨーク・ネッツがNBAに加入し、チーム数は22に。
1979年 スリーポイントシュートが導入される。
どん底まで沈んでいたNBAを救ったのはマジック・ジョンソンとラリー・バードの登場だった。