NBA
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国際バスケットボール連盟 (FIBA) ルールとは異なる独自のルールがあり、その違いからオリンピック、世界選手権などでアメリカが苦戦を強いられる要素にもなっている。ただし、2010年10月から五輪や世界選手権で、2012年10月からは各国で、それぞれFIBAルールが改正され、3ポイントラインが50cm下がり、ペイントゾーンが長方形になる。これによって国際ルールとNBAルールが近づくことになる。

ノーチャージ・エリア:ゴール真下の半円より内側ではオフェンスのチャージングが適用されない。

パーソナルファウル6つで退場となる。

ゴール下のペイントゾーンが長方形である。

3ポイント・ラインが国際ルールのコートよりも約1m後方。

ディフェンス3秒ルール:オフェンスプレイヤーにマークマンとしてついていないディフェンダーは、ゴール下のペイントゾーンに3秒以上留まっていてはいけない。


NBAの歴史


創成期

NBAはバスケットボール誕生から約半世紀後に創設された。創設の目的はプロアイスホッケーに利用されるアリーナの空き時間を埋めるためであり、初代コミッショナーにはAHLの会長であるモーリス・ポドロフが就任した。1946年11月1日に、トロント・ハスキーズ対ニューヨーク・ニッカボッカーズの顔合わせで初めて試合が行われた。1949年NBLと合併し、ジョージ・マイカンがNBA入りした。

1892年 カナダ人体育講師ジェームズ・ネイスミスにより考案されたバスケットボールの初めての試合が行われる。

1946年 BAA創設。傘下チームは11。

1949年 ライバルリーグであったNBLを吸収合併し、NBAに名称を変更。傘下チームは17に。


1950年代

この時期リーグは大きな2つの変化を経験する。その1つが24秒ショットクロック(ボールを保持したチームが24秒以内にシュートをしなければ、相手ボールとなる)の導入だった。NBLの吸収で17チームにまで膨れ上がったNBAだが人気は停滞し、1954年には8チームにまで減少した。このような状況を打破すべく導入されたショットクロックは、試合のテンポを早くし、より娯楽性の高いものとした。もう1つの変化は黒人選手の隆盛だった。当時のNBAは選手の大半を白人が占めていたが、1950年にはNBA初の黒人選手チャック・クーパーがドラフト指名され、1956年にはビル・ラッセルがNBA入りし、1959年にはウィルト・チェンバレンが新人にして得点王、リバウンド王、新人王、MVP4冠を達成した。1950年代前半はマイカン率いるミネアポリス・レイカーズがNBA初の3連覇を達成。後半にはラッセル擁するボストン・セルティックスがリーグを支配し始める。

1951年 ペイントエリア(制限区域)を6フィートから12フィートに拡大。

1954年 24秒バイオレーションルール(ショットクロック)を導入。


1960年代

1960年代はセルティックスの時代だった。ラッセルを始めボブ・クージービル・シャーマンらを擁したセルティックスは、名将レッド・アワーバックに率いられ、1958 - 59シーズンから65 - 66シーズンまでの8連覇を達成した。セルティックスがリーグを支配する一方で、チェンバレンの1試合100得点やオスカー・ロバートソンのシーズン平均トリプルダブル達成などの記録も生まれた。NBAは60年代末には傘下チームを14に増やすなどしようやく軌道に乗り始めたが、1967年にはライバルリーグABAが誕生した。

1960年 ジェリー・ウェストミネアポリス・レイカーズに入団。

1964年 ペイントエリア(制限区域)を12フィートから16フィートに拡大。

1966年 ボストン・セルティックスが8連覇を達成。

1967年 ABA創設。


1970年代

リーグはセルティックスの支配が終わり群雄割拠の時代を迎えたが、一方で薬物などの蔓延によりNBAの人気は低迷し、またABAとの競争のための事業拡大はリーグ全体の質の低下を招いた。カリーム・アブドゥル・ジャバーやABA出身のジュリアス・アービングらがリーグを牽引したが、人気の回復には至らなかった。

1976年 ABAが消滅。ABAの4チーム、サンアントニオ・スパーズデンバー・ナゲッツインディアナ・ペイサーズニューヨーク・ネッツがNBAに加入し、チーム数は22に。

1979年 スリーポイントシュートが導入される。


1980年代

どん底まで沈んでいたNBAを救ったのはマジック・ジョンソンラリー・バードの登場だった。両者のライバル関係はリーグを活性化させ、80年代のNBAファイナルはジョンソンのロサンゼルス・レイカーズとバードのセルティックスのいずれかが争った。またマイケル・ジョーダンら次世代を担うスター選手らが続々とNBA入りを果たしたのもこの時期であり、また第4代コミッショナーに就任したデビッド・スターンはリーグのクリーン化に力を注いだ。NBAの人気は加速度的に増していき、チーム数は27にまで増加する。そして80年代末のバットボーイズの連覇を経て、NBAはジョーダンの時代を迎えた。

1980年 ダラス・マーベリックスが新設され、チーム数は23に。

1981年 ドラフトで岡山恭崇ゴールデンステート・ウォリアーズから8巡目の10番目で指名を受けるが入団せず。

1984年 サラリーキャップ制度導入。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen