NBAプレーオフ(NBA Playoffs)とは、北米プロバスケットリーグであるNBAのレギュラーシーズン終了後、東西の各カンファレンスから8チームずつが進出し、7戦4勝制のトーナメント方式によりチャンピオンを決するためのプレーオフ(ポストシーズンシリーズ)をいう。各カンファレンスのトーナメントを勝ち抜いたチーム同士による決勝戦をNBAファイナル、準決勝に相当する各カンファンレンスにおける優勝チームの決定戦をNBAカンファレンスファイナルとよぶ。
トーナメント1回戦の「ファースト・ラウンド(カンファンレンス準々決勝)」の勝者は、「カンファレンス準決勝」へと進出する。さらに同準決勝の勝者が「カンファレンス決勝」に進出する。最終的に各カンファレンスのチャンピオン同士がNBAファイナルにおいて対戦することとなる。
以前は1回戦は5戦3勝制のシステムであったが、現在は各ラウンドともに7戦4勝制となっている。NBAファイナルを除く各ラウンドの試合会場は2-2-1-1-1のフォーマットでホームとアウェイの試合となり、NBAファイナルにおいては、2-3-2のフォーマットにて試合会場が割り振られる。
目次
1 沿革
2 2006年NBAプレーオフにおける議論
3 シード順決定方法
3.1 同成績のチーム間
4 その他
5 関連項目
6 外部リンク
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NBA(1949年にNBL(National Basketball League)と合併するまではBAA(Basketball Association of America)と呼ばれていた)の最初のシーズンである1947年には、東西の地区の上位各3チームがプレーオフへの出場権を有した。各地区1位の2チームがファイナルへの出場を争って7戦4勝制の準決勝を行った。残りの4チームは3戦2勝制のプレーオフを2ラウンド行うことで準決勝の勝者と対戦するチームを決定した。この年には、最初のNBAファイナル(当時の呼称はBAAチャンピオンシップ)で、フィラデルフィア・ウォリアーズがシカゴ・スタッグスを4勝1敗で下した。
1949年のプレーオフでは、各地区に1チームずつ追加され、シードチームがなくなり、2ラウンドの3戦2勝制のトーナメントが行われた。各勝者は7戦4勝制のチャンピオンシップを戦った。1950年はNBLとの合併等でチーム数が増え従来の地区に加え中部地区ができ(このシーズンのみ)、最高勝率を上げたシラキューズ・ナショナルズの所属する東部地区がシードされる形でトーナメントが行われ、ミネアポリス・レイカーズがナショナルズを6戦で破ってNBAに名前が変わって初めてのチャンピオンの座に就いた。
1951年から53年にかけて、地区の決勝がそれぞれ5戦3勝制に変更された。インディアナポリス・オリンピアンズが消滅した1954年、NBAプレーオフは初めて総当り制を導入し、これは歴史上唯一の総当り制の実施となった。1955年から66年には元の6チームによる対戦に戻され、1958年には地区の決勝が7戦4勝制に、61年にはディビジョンの準決勝が5戦3勝制に拡張された。
1967年には、プレーオフ進出チームは再び8チームに増やされ、3ラウンドのトーナメントが組まれた。1年後、地区の準決勝は7戦4勝制に変更された。1971年には、それまでの東西2地区制から東西2カンファレンスをそれぞれ大西洋と中部、中西部と太平洋の地区に分ける形に再編された。1975年には各カンファレンスの5位のチームが、1977年には6位のチームがプレーオフにおいて3戦2勝制の第1ラウンドを戦うようになった。
1984年にはついに、トーナメントは現在の16チームの形式に拡張され、第1ラウンドは5戦3勝制に変更された。2003年には第1ラウンドもまた7戦4勝制に変更された。
2004年、シーズンの開始にあたり、30番目のNBAのチーム(シャーロット・ボブキャッツ)の追加に伴い、NBAは地区を再編成した。その結果、各カンファレンスは5チームずつの3つの地区を有することとなり、各地区の勝者は、カンファレンスにおいて8位までの順位に入っているかを問わずにプレーオフにおける上位3つのシードを保証されることとなった。これは2005-06シーズン終了後にいくぶん修正された。地区の勝者はプレーオフへは自動的に進出出来るものの、第3シード以内が保証されることはなくなった(この事については下記参照)。また、地区の勝者にホームコートアドバンテージが保証されないことは変わらなかった。このシステムの下では、地区の首位で第3シードになっても、カンファレンスの勝率上位チームが他の地区に固まった場合、対戦相手の第6シードのチームがホームコートアドバンテージを有することもあり得る。
シャーロット・ボブキャッツの新規加入に伴うNBAの地区の再編の後に導入された2004年から05年にかけて、また2005年から06年にかけてのNBAプレーオフに用いられた以前のプレーオフの方式は、2005年から06年にかけてのシーズン・プレーオフの最中に議論を呼んだ。そして、2006年から07年にかけてのシーズンの開始前に変更されることとなった。
アメリカの主要なプロスポーツのリーグ(NFL、NHL、MLB)では、地区のチャンピオンを地区で優勝していないプレーオフ参加チームよりも上位にシードするのが慣例となっていた。これはカンファレンスやリーグ全体での成績の順位を問わないものであった(ホームコートアドバンテージについては、通常勝敗に基づいてのみ割り当てられていたが)。2006年から07年のシーズンの前までは、NBAにおいても同様であった。
NBAが2つのカンファレンスに分けられたとき、それぞれのカンファンレンスには2つの地区が設けられ、各地区で2位に終わったチームはカンファレンスの3位シードより上のシードは得られなかった。上2つのシードは地区の勝者のために確保されていたからである。このシステムを変更することについての議論はあまりなされてこなかった。
NBAがその2つのカンファレンスをそれぞれ3つの地区に再編した後には、各地区は5チームから構成され(プレーオフにおけるシードに関するルールはほとんど変更されなかった)、カンファレンスで最も良い勝敗成績を残した2チームがカンファレンスの決勝ではなく、カンファレンスの準決勝で対戦する可能性が出てきた。2005年から06年にかけてのNBAシーズンで、西カンファンレンスの南西地区に属するダラス・マーベリックスとサンアントニオ・スパーズは、(東カンファレンスに属するデトロイト・ピストンズを除けば)リーグに属する他のチームより抜き出て良い成績を収めていたが、これら2つのチームがカンファレンスの2つのベストチームであって、それらのチームがカンファレンスの決勝ではなく準決勝で対戦しなければならないことがアンフェアである、と多くの評論家やファンが考えることとなった。これは、ベストチーム同士の対戦がなるべくプレーオフの後のラウンドで対戦すべきことに反するからのみならず、当該カンファレンスからプレーオフに参加する残り半分のチームは、カンファレンスで優勝するためにトップ2チームの双方と対戦しなくて済むことで楽な時期を与えているということからであった。
南西地区の勝者であるサンアントニオは、第1シードを獲得したが、ダラスは第4シードとされた。パシフィック地区の勝者フェニックス・サンズは、カンファンレンスで3位の成績を有していたが、第2シードとされ、北西地区の勝者デンバー・ナゲッツは、カンファレンス7位タイの成績でありながら、第3シードとされた。
第5シードのメンフィス・グリズリーズと第6シードのロサンゼルス・クリッパーズは、各地区の勝者が確定し、ダラスが第4シードとなることが決まった後のレギュラーシーズンの最終盤に対戦があった。