MGM-31_(ミサイル)
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MGM-31 パーシング

試験飛行中のパーシング II

用途:地対地戦域攻撃

分類:短距離弾道ミサイル準中距離弾道ミサイル

製造者:マーチンマーティン・マリエッタ

運用者

アメリカアメリカ陸軍

西ドイツ西ドイツ空軍


初飛行:1960年2月25日

生産数:約1,100基

MGM-31A/B:754基

MGM-31C:380基


運用開始:1962年6月

退役:1988年10月

運用状況:退役
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MGM-31 パーシング(: Pershing)は、アメリカ陸軍の主要な戦域レベルの兵器としてレッドストーンミサイルを置き換えるためにマーティン・マリエッタによって設計・製造された2段式固体燃料準中距離弾道ミサイルである。通称はジョン・パーシング合衆国総軍元帥にちなむ。パーシング・ミサイル・システムはアメリカ陸軍ミサイル軍団 (Missile Command, MICOM) によって管理され、アメリカ陸軍野戦砲兵隊によって展開された。
目次

1 開発

2 各型

2.1 パーシング I

2.2 パーシング Ia

2.3 パーシング II

2.4 パーシング Ib とパーシング II RR


3 撤去

4 遺産

5 仕様

5.1 MGM-31A パーシング I

5.2 MGM-31B パーシング II


6 脚注

7 関連項目

//


開発

1956年、当時のマーチン社社長ジョージ・バンカー (George Bunker) は、レッドストーン兵器廠にあるアメリカ陸軍弾道ミサイル局 (ABMA) のジョン・メダリス (John Medaris) 将軍を表敬訪問した。メダリスは、ミサイル工場がフロリダ州ケープ・カナヴェラルの近くにあれば、それが陸軍にとって有利だろうと指摘した。マーチンは、フロリダ州オーランドにサンドレイク施設の建設を開始し、1957年後半に開業した。バズーカの共同発明者であるエド・ウール (Ed Uhl) は、同社副社長であり、新施設のゼネラル・マネージャーであった。

1956年にアメリカ軍は、500?750 nm(900?1,400 km)の射程を要求仕様とする弾道ミサイルの研究を開始した。その年の後半、国防長官チャールズ・E・ウィルソンは200 mi(320 km)以上の射程を持つすべてのアメリカ陸軍のミサイルを削減する「ウィルソン・メモ」を出した[1]。そのメモが1958年に取り消された際、ABMAは開発を開始した。そのミサイルの通称は最初にレッドストーン-S(S は固体燃料を意味する Solid の頭文字)と呼ばれ、その後間もなくパーシングに変更された。

クライスラーロッキードダグラスコンベアファイアストンスペリーランド及びマーチンの7社は、提案を策定するのに選定された[2]。元ミシガン州知事であった陸軍長官ウィルバー・ブラッカー (Wilber Brucker) は、契約をミシガン州の企業に与えるために、明らかに地元から圧力をかけられていた。クライスラーはミシガン州からのただひとつの契約者であったが、メダリスは決定をABMAの手に完全に委ねるようにブラッカーを説得した。メダリス将軍とアーサー・ルドルフ博士 (Dr. Arthur Rudolph) による選定作業の後、政府の技術的な監督と設計概念管理の下、パーシング・システムの研究、開発及び初期生産のCPFF(cost-plus-fixed-fee、原価及び固定契約金)契約がマーチン社(1961年の合併の後の後のマーティン・マリエッタ)に与えられた。マーチンのパーシング担当品質管理マネージャー、フィル・クロスビー (Phil Crosby) は、システムの生産性と信頼性を強化したゼロ・ディファクト (Zero Defects) の概念を開発した。


各型

XM14 - 研究開発試験用試作

XM19 - XM14の訓練用不活性弾頭弾(イナート弾)

XMGM-31A - 1962年の名称統一に伴う命名規則変更のため1963年6月に改名されたXM-14

XMTM-31B - 1962年の名称統一に伴う命名規則変更のため1963年6月に改名されたXM-19


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki