MBSラジオ
英名 ⇒MBS Radio
放送対象地域近畿広域圏
系列JRN、NRN系
略称MBS-R
愛称MBSラジオ
コールサインJOOR
開局日1951年9月1日
本社〒530-8304
大阪府大阪市北区茶屋町17番1号
演奏所本社と同じ
親局 / 出力大阪(高石) 1179kHz / 50kW
主な中継局京都:1179kHz
公式サイト ⇒[1]
特記事項:
開局当初は新日本放送。
表・話・編・歴
毎日放送 > MBSラジオ
沿革、オープニング・クロージングなどは毎日放送を参照。
目次
1 概要
2 局データ
2.1 送信所
2.2 時報
2.3 ネットワーク
2.4 ニュース
3 番組
4 スタジオ
5 高石送信所の工事による番組編成
6 脚注
7 関連項目
8 関西圏のラジオ局
9 外部リンク
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概要
本放送の開始は、1951年9月1日、大阪市北区角田町の阪急百貨店梅田本店の屋上に建てられたスタジオから中波放送を開始。同じ日の朝に開局した名古屋市 中区の中部日本放送 (CBCラジオ)に続いて昼に放送を開始した。第一声は、坂本登志子アナウンサーの「JOOR、みなさまの新日本放送でございます。」であった。
開局当初は、『うっかりテスト』、『知らぬが佛(ほとけ)』、『バイバイ・ゲーム』、『おたのしみヒント』といった、一般参加のバラエティ番組が中心の編成だった。
ネットワークはJRN、NRNにそれぞれ加盟するクロスネット局(該当項参照)。
2006年10月から、「MBSラジオは OKステーション」というキャッチフレーズを使用。いつでも、どこでも、どの場所でも、ラジオを聞けばOKという意味。「オーサカキング」開催時に会場内に設置されるラジオのサテライトスタジオ「OKステーション」のロゴを引用した。
聴取率に関しては、開局以来長らくABCラジオの後塵を拝していた。ABCラジオの人気番組に自社制作物が多かったのに対し、MBSの人気番組はほとんどが東京のTBSラジオか文化放送製作の番組であった。とりわけJRN発足前後(1964?1966年)は日中ずっとTBSラジオの番組をそのまま放送していた事もあり、在阪局最低の聴取率にまで落ち込んだ。
その後、『ありがとう浜村淳です』、『ごめんやす馬場章夫です』などの生ワイド番組をはじめとしたローカル向け編成に徹し、聴取率は着実に回復。1980?1990年代後半までは全日で在阪局トップに躍り出た時期もあった。2000年代に入っても首位を独走する時期が長く、2005年6月実施の聴取率調査でも在阪局トップとなった。特に『ありがとう浜村淳です』や土日の昼間やスポーツ系の番組(阪神戦が中心)などが比較的好調である。また1995年の阪神・淡路大震災発生以降は『ネットワーク1・17』など防災関係の番組にも力を入れるようになっている。さらに、日曜午前6時半からと言う時間にもかかわらず、『勝谷誠彦の志ジャーナル』が高聴取率を続けていた(現在は終了)。
その一方で、1999年に平日『MBSヤングタウン』の打ち切りや、川村龍一、諸口あきら、馬場章夫らが平日昼間の番組から次々と引退し、現在では全体的には関西圏のAMラジオのトップを行くABCラジオや、FM OSAKA、FM802などのFM局にも聴取率面で押されている。特に平日深夜において若年層がFMに流出したために軒並み『ヤングタウン』を中心に苦戦を強いられはじめ、平日『ヤンタン』の打ち切り後『XXX』の失敗もありそれ以後は中高年層をターゲットとした番組編成を組んでいるものの、関西ではなかなか受け入れられないために、短いスパンで番組が変わることが多い。近年はやや落ち着きつつあるが、それでも『ヤンタン』の末期から番組編成の変動が激しい状態が10年以上も続いている。また平日昼間でも苦戦を強いられている番組は多く、この時間帯でもABCやFM局などにリスナーが流出している状態が続いている。
自社制作の番組が中心となる一方で、JRN(TBSラジオ)やNRN(ニッポン放送、文化放送)制作の番組のネットには非常に消極的で大半がCMのみネットするケースになっており、一番組内のコーナーとして埋没されている形となっている。