M・ナイト・シャマラン
M. Night Shyamalan
M・ナイト・シャマラン(2018年)
本名Manoj Nelliattu Shyamalan
生年月日 (1970-08-06) 1970年8月6日(53歳)
出生地 インド ポンディシェリ連邦直轄領、マーヒ[1]
国籍 アメリカ合衆国
配偶者Bhavna Vaswani (1993?)
著名な家族
サレカ・シャマラン
受賞
ゴールデンラズベリー賞
最低監督賞
2006年『レディ・イン・ザ・ウォーター』
2010年『エアベンダー』
最低脚本賞
2010年『エアベンダー』
助演男優賞
2006年『レディ・イン・ザ・ウォーター』
日本アカデミー賞
最優秀外国語作品賞
2000年『シックス・センス』
その他の賞
備考
第72回ベルリン国際映画祭 審査委員長(2022年)
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M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan、本名: Manoj Nelliattu Shyamalan、1970年8月6日 - )は、インド系アメリカ人の映画監督・脚本家・映画プロデューサーである。代表作に『シックス・センス』『サイン』などがある。2008年、インド政府によりパドマ・シュリー勲章が授与された[2]。 インドのポンディシェリ連邦直轄領マーヒでヒンドゥー教徒の家庭に生まれる[1][3]。母親は産婦人科医であった[4]。生後6週間でペンシルベニア州フィラデルフィア郊外に移った。カトリック系の中学、高校に通い、1988年にニューヨーク大学の奨学金を手にした[5]。シャマランはニューヨーク大学の芸術学部で学び[6]、1992年に卒業した。その当時にシャマランはセカンドネームの「ナイト」をつけた[7]。 シャマランは幼少の頃にスーパー8カメラを買い与えられ、早くから映画製作者を志望していた。父親は医学の道へ進むことを希望したが、母親はシャマランの意思を尊重した[8]。シャマランはスティーヴン・スピルバーグに憧れ、17歳までに45本もの自主映画を撮った[9]。その幾つかはDVDの映像特典として視聴することができる。 1本目の映画は大学時代に家族や友人から資金を借りて製作した半自伝的ドラマ作品『Praying with Anger 1995年に第2作『翼のない天使』を脚本・監督したが、1998年まで公開されなかった[12]。彼の両親はこの映画ではアソシエイト・プロデューサーであった。映画は限定公開され、600万ドルの製作費に対し、興行収入30万5704ドルを記録した[13]。また同年シャマランはグレッグ・ブルッカー
生い立ち
キャリア
1999年には脚本・監督を務めた『シックス・センス』が商業的に成功をおさめ、アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされ、国際的な知名度を上げた。2000年公開の『アンブレイカブル』、2002年の『サイン』もまた興行的、批評的にも成功した。しかし監督6作目の『ヴィレッジ』(2004年)が賛否両論の評価となり[14]、続く『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006年)は製作費7500万ドルを回収できずに興行的にも失敗し[15]、評論家にも酷評され[16]、さらにシャマランは第27回ゴールデンラズベリー賞で最低監督賞と最低助演男優賞を受賞した。2008年の『ハプニング』は興行的に成功するも[17]、批評家の反応はまた低迷した[18]。
2010年にはニコロデオンのテレビアニメ『アバター 伝説の少年アン』を原作とした『エアベンダー』が公開される。これは今までオリジナル脚本を書いてきたシャマランにとって初めて、他人の原作にもとづく仕事となった。『エアベンダー』の興行収入は全世界で3億ドルを超えたが[19]、Rotten Tomatoesでの批評家支持率は6%でシャマランの作品では過去最低の数値となった[20]。また同作品は第31回ゴールデンラズベリー賞では最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞を含む5部門を受賞した[21]。