KEIRINグランプリ概要
開催時期12月30日
開催地域持ち回り
愛称グランプリ
分野競輪
カテゴリーGP
形態一発勝負
主催者持ち回り
歴史
初回開催年1985年
開催回数23回(2007年)
初代優勝者中野浩一
最多優勝者井上茂徳、山田裕仁(3回)
直近優勝者伏見俊昭(2007年)
KEIRINグランプリ(けいりんぐらんぷり)は、毎年12月30日に開催される競輪のGP競走(レース)である(但し1989年は労使交渉の決裂から開催中止、1990年はテレビ中継の関係で12月29日に開催)。
目次
1 概要
2 沿革
3 開催場について
4 KEIRINグランプリ誕生の経緯[1]
5 出場選手選抜方法
6 過去の優勝者
7 エピソード
8 特記事項
9 脚注
10 今後の開催予定
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近年の競輪におけるグレード制の採用により、競輪における最上位の競走とされる(但し競輪界の名誉としては日本選手権競輪とする説も根強い)。
2007年までは、各種公営競技を代表する年末のビッグレース(中山大障害・有馬記念・東京大賞典・賞金王決定戦競走・スーパースター王座決定戦・KEIRINグランプリ)の中でも最後に行われてきたことから、その年の『ギャンブル総決算』の意味合いを持つレースとして位置づけられてきた(ちなみに2002年のキャッチフレーズは「全てのギャンブラーに捧げるワンモアチャンス」であった)。しかし、2008年は大晦日にスーパースター王座決定戦が行われることから、「公営競技界最後の大一番」とは言えなくなった。
正賞として、経済産業大臣賞、NHK杯、主催者市長(管理者)賞、主催者議会議長賞、全国競輪施行者協議会会長賞、日本自転車振興会会長賞、自転車競技会全国協議会会長賞、日本競輪選手会理事長賞、全国競輪場施設協会会長賞、実施自転車競技会会長賞などが優勝者に授与される。
設立当時のレース名は「KEIRINグランプリ'○○」(○○には開催西暦年の下2桁が入る)であったが、2000年には「KEIRINグランプリ2000」というレース名で開催、2001年以降は「KEIRINグランプリ○○」(○○には開催西暦年の下2桁が入る、1999年以前と異なり年を表す数の前に「'」が入らない)というレース名で呼称されている。
大会は通常のトーナメント方式ではなく、その年のグランプリ開催日においてS級に所属し、その年のGIで優勝した選手および獲得賞金額の上位選手を合わせた9人で争う一発勝負である。だからこそ、切羽詰った史上最高、史上最大、史上最強の「1億円頂上決戦」が見られるのが魅力である。夏季オリンピックがある年は自転車個人競技の成績優秀者(メダリストなど)にも参加できる権利がある。2001年に競輪のグレード制が導入されてからは、GIよりも格の高いグレードとしてGPが用意された。
1着賞金は、第1回は1000万円で、1990年代前半は3000万円台であったが、以後増額され、2003年までは7000万円、2004年は競艇の賞金王決定戦の優勝賞金と同額の1億円になった(本賞金は9500万円だが副賞の500万円を含めて1億円、ちなみに2着は2000万円)。ただし予選(トライアルレース)を行う競艇の賞金王決定戦と違い、真の一発勝負のレースである点が一番のポイントである。
尚、優勝賞金の1億円(ドルに直すと約100万ドル)は競艇の賞金王決定戦と共に1レースの優勝額としては世界最高額として、ギネスブックに認定されている。
2002年からは、グランプリ優勝者は翌年1年間出場する全てのレースで1番枠に固定される特典が与えられ、また他の出場者にも翌年のGIレースへの出走資格が与えられた。また「グランプリ・チャンピオンユニフォーム」(優勝者)・「グランプリユニフォーム」(優勝者以外)を翌年の読売新聞社杯全日本選抜競輪まで着用することができる。ユニフォームの柄は ⇒こちらを参照すること。
開催場は固定ではなく、各競輪場による持ち回りである。ただビッグレースであり1万人以上もの大量の観客が訪れるため、現状は立川競輪場をメインとした、南関東(競輪での地区区分では関東及び南関東地区)の競輪場のみの開催に限られている(現在までに開催されたことがあるのは立川競輪場・平塚競輪場・京王閣競輪場の3場のみである。)。
かつては関東以外での開催も検討され、1988年に一度は甲子園競輪場での開催が決まったが、警備面など諸問題がクリアできず立ち消えとなった。
競輪では「1競輪場で1年1グレード(GIII以上)レースのみ」が前提のため、現状では立川競輪場での開催を基本としながら、立川で日本選手権競輪など他のGIレースが開催される場合は、平塚競輪場などの他場に振られることになる。なお2003年以降は、京王閣・立川・平塚の順で3年周期で開催されている。