このページのノートに、このページに関する質問があります。
質問の要約:新聞社の社説の記述などについて
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。
そのため偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくはノートを参照してください。
JR羽越本線脱線事故(-うえつほんせんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)12月25日に羽越本線の北余目駅〜砂越駅間で発生した列車脱線事故である。
目次
1 事故概要
2 事故の背景と責任
2.1 運転士の過失の有無
2.2 運行管理体制と設備の問題
3 救援活動
3.1 山形県立日本海病院の対処
3.2 レスキュー体制
3.3 その他
4 事故発生時のメディアの対応
5 復旧活動や余波、その後の対策
6 関連項目
//
2005年(平成17年)12月25日19時14分頃、山形県庄内町榎木のJR羽越本線北余目駅〜砂越駅間の第2最上川橋梁付近において、秋田発新潟行きの上り特急「いなほ14号」(列車番号:2014M-485系3000番台6両編成・新潟車両センター所属R24編成)が、橋梁通過直後に最も軽量であった2両目から脱線を始めて最終的に全車両が脱線、うち3両が転覆し、先頭車両が線路脇の養豚場(養豚・山形和牛肥育畜舎)共同団地内養豚のたい肥舎に激突し大破した。脱線時の運転速度は、運転士の証言等から約100km/hと見られている。
この事故により先頭車両に乗っていた5人が死亡、32人が重軽傷を負った。なお、乗客の目撃情報から秋田県内在住の母子2名が車内に閉じ込められたままだと報道されていたが、事故発生前に下車しており、無事だったことが数日後に判明している。
事故の発生した2005年12月の山形県庄内地方では例年と比べても激しい吹雪が連日続いており、事故当時も暴風雪・波浪警報が発令されていた( ⇒ウィキニュースの記事)。事故の直接の原因は突風だとされ(現場周辺住民からも「今まで体験したことがないようなものだった」との証言が出ている)、周辺の防砂林のクロマツが倒れていることや目撃情報などから、原因は局地的に発生したダウンバーストあるいは竜巻に煽られ転覆した可能性があるといわれた。事故当日、最上川河口南方から事故現場までの一直線上で、ビニールハウスの倒壊や、国道7号沿いの防雪柵に取り付けられていた重さ105kgの鉄板が飛ばされコンビニエンスストアの軒を破壊するなどの大きな被害が発生していたことが確認されている。
事故後、山形県警察が東京都内の大学研究室に依頼した風洞実験の結果、当該列車は風速40m以上の突風に襲われたと推定される。しかし、事故当日の気象庁酒田測候所が観測した最大瞬間風速は21.6m、現場近くのJRが設置した風速計の数値も20m程度と、極狭い範囲を移動した突風に対して、管理側で異常を検知することは出来なかった。
事故の原因については航空・鉄道事故調査委員会によって調査が続けられ2008年4月2日正式な見解が発表された。脱線原因として瞬間風速40メートル程度の局所的な突風で車両が傾いたと結論づけた。そして、予見はほぼ不可能であり、事故は不可避な事故とした。そして、今後の対策として気象庁や鉄道事業者や行政等の連携や観測網の強化などで実効性のある対策が必要との所見を述べた。 ⇒当該HPの鉄道事故報告内に当該事故正式報告書を参照 このほかに当時の状況や関係者の証言などから、以下の点について議論されている。
この列車には、運転士(当時29歳)と車掌(当時26歳)の2名が乗務していた。事故発生当日、事故列車は秋田駅発車の時点で1時間1分の遅延を生じていたが、途中風の強い区間では運転指令員の指示に従い25km/hで進行するなど、安全確保のための措置をとっていた。その結果、事故直前の酒田駅発車時点では1時間8分の遅れを生じていた。事故発生時も、運転士は自らの判断により通常120km/hで走行するところを、100〜105km/hに減速して運転していたことが、事故後の調査で判明している。無理な定時運転の敢行など、安全性を無視した無謀運転を行った形跡はなかった。
事故発生後、運転士は、すぐさま列車無線で新潟支社の輸送指令に脱線事故の発生と救助の要請を行い、車掌と2人で消防の到着まで救助作業を行った。