1951年(昭和26年)8月 独自の選手養成所として「琵琶湖国際モーターボート選手審判員養成所」「大村選手養成所」が開設
1952年(昭和27年)3月 社団法人全国モーターボート競走会連合会(以下、「連合会」)が選手登録試験を実施、最初の競艇選手が選手登録
1952年(昭和27年)4月6日 大村競艇場にて全国初の競艇が開催
最初の競艇女子選手は、則次千恵子(選手登録番号78、1952年5月1日付けで登録。1932年12月15日生まれ)
1953年(昭和28年)11月 第1回全日本選手権競走に、則次千恵子、渕崎栄子、中村弘子の3選手が出場。
1953年(昭和28年)12月 全日本モーターボート選手会連合会(事務局・大阪)結成
1954年(昭和29年)7月1日 選手級別決定基準実施(A級・B級・C級)
1954年(昭和29年)3月2日 芦屋競艇場にて競艇初のオール女子レース開催
1954年(昭和29年)8月21日 大村競艇場にて全国初の「オール女子ダービー戦」が開催
1956年(昭和31年)4月 全日本モーターボート選手会連合会(事務局・大阪)解散
1956年(昭和31年)10月 琵琶湖国際モーターボート選手審判員養成所閉鎖
1957年(昭和32年)1月 選手養成年齢制限が「16歳以上26歳未満」となる
1957年(昭和32年)1月 全日本モーターボート選手会連合会(事務局・東京)再結成
1957年(昭和32年)2月 連合会、選手養成を多摩川競艇場で開始。1期間2ヶ月間。
1957年(昭和32年)11月 選手級別審査に勝率制度(着順点制度)を採用実施
1959年(昭和34年)2月 選手養成年齢制限が「17歳以上25歳未満」となる(従来は、16歳以上26歳未満)
1960年(昭和35年)10月 社団法人日本モーターボート選手会、設立認可・発足
1960年(昭和35年)11月 第7回全日本選手権競走で、佐竹文子(1288)が準優勝戦進出。
1962年(昭和37年)12月 選手養成年齢制限が「16歳以上25歳未満」となる(従来は、17歳以上25歳未満)
1965年(昭和40年)4月 選手養成期間が5ヶ月間となる(従来は、2ヶ月間)
1966年(昭和41年)4月 選手養成年齢制限が「18歳以上25歳未満」となる(従来は、16歳以上25歳未満)
1966年(昭和41年)11月 連合会、選手・審判員・検査員などの養成や各種訓練を行なう常設の専用施設として、「本栖厚生施設水上スポーツセンター(本栖研修所)」開設(山梨県本栖湖畔)。
1967年(昭和42年)8月 「紅の水会」発足(現役女子選手・引退女子選手の相互親睦)
1970年(昭和45年)4月 選手の養成期間が1年間となる(従来は、5ヶ月間)
1973年(昭和48年)9月 本栖研修所にて、初の養成訓練修了記念競走実施(第36期) ⇒ 本栖チャンプ
1979年(昭和54年)4月 第46期選手養成員として田中弓子(2945、後に鈴木姓)が、本栖研修所に入所。女子の選手養成員は、9年ぶりであった。
1980年(昭和55年)4月 女子選手の定期養成が再開。第48期選手養成員として女子15名(男子20名)が本栖研修所に入所、女子選手が大量に養成される始まりとなる。
1981年(昭和56年)6月 4日 住之江競艇場にて、「ささゆり賞」開催。21年ぶりのクイーン決定戦となった(男子28名・女子14名による男女別レース・ダブル優勝戦)。
1982年(昭和57年)5月 選手級別決定基準の変更を実施。A級・B級は定員制とする、など。
1983年(昭和58年)3月 第52期選手養成訓練修了記念競走にて、石原加絵(3098) ⇒[1]が女子初の優勝 ⇒ 本栖チャンプ
1983年(昭和58年)8月12日 住之江競艇場にて「全日本女子選手権大阪大会」(レディスカップ)を開催。優勝は服部恭子(3093)。競艇での女子選手だけの競走は、23年ぶりであった。
1983年(昭和58年)9月 外国人女子選手の募集を開始
1983年(昭和58年)10月 選手養成年齢制限が「18歳以上23歳未満」となる(従来は、18歳以上25歳未満)
1987年(昭和62年)12月3日 浜名湖競艇場にて、第1回JAL女子王座決定戦競走開催
1988年(昭和63年)9月 選手養成員の体重制限が、男子・47kg以上55kg以下、女子・42kg以上50kg以下、となる(第66期から)。
1988年(昭和63年)5月 選手級別決定基準の変更を実施。A級・B級の選手数を定率制(従来は、定員制)とする、など。
1988年(昭和63年)11月 選手の最低体重規定を新設実施(男子50kg、女子45kg)
1991年(平成3年)9月 選手養成訓練を1年2ヶ月間に延長(従来は、1年)。選手養成員の体格制限について、身長170cm以下(従来165cm以下)、女子の体重が42kg以上50kg以下(従来42kg以上55kg以下)、視力0.8以上(従来1.0以上)となる(第72期選手養成訓練から実施)。
1995年(平成7年)1月1日 選手級別決定基準の変更を実施。A1級・A2級・B1級・B2級の4区分体制となる。
1996年(平成8年)7月20日 「競艇オフィシャルWeb」オープン。インターネットのWebサイト開設は、公営競技としては初めて。
1996年(平成8年)8月 選手養成年齢制限が「17歳以上21歳未満」となる(従来は、17歳以上23歳未満)(第82期から)
1997年(平成9年)7月 競艇選手のヘルメットについて、「フルフェイス」形となり同時に選手個人の管理に任されることとなる(それまでは「ジェット」形であり各競艇場が管理) ⇒[2]。
1997年(平成9年)9月28日 鵜飼菜穂子(2983)が福岡競艇場第10レースにて通算1,000勝を達成