1942年、サリンジャーは太平洋戦争の勃発を機に自ら志願してアメリカ軍に入隊する。2年間の駐屯地での訓練を経て1944年3月にイギリスに派遣され6月にノルマンディー上陸作戦に一兵士として参加し激戦地の一つユタ・ビーチに上陸する。フランスではサリンジャーは情報部隊に所属する。8月、パリの解放後新聞特派員としてパリを訪れたヘミングウェイを訪問する。『最後の休暇の最後の日』(The Last Day of the Furlough)を読んだヘミングウェイはサリンジャーの才能を認めて賞賛したという。しかしサリンジャーはヘミングウェイのタフな精神とは相容れなかったようだ(『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンの台詞を参照)。しかしドイツとの激しい戦闘によってサリンジャーも精神的に追い込まれていき、ドイツ降伏後は神経衰弱と診断されニュルンベルクの陸軍総合病院に入院する。入院中にフランス人女性医師シルヴィアと知り合い結婚する。結婚後の1945年11月に軍を除隊になる。
12月に『ライ麦畑でつかまえて』の原型となる作品『僕は狂ってる』(I'm Crazy)が雑誌『コリアーズ』に掲載される。1946年シルヴィアとの結婚生活は終わりを迎え、サリンジャーの生活も大きく変化した。ヤッピーのような生活を送り、またニューヨークのボヘミアンとも多く交流を持つようになる。
1949年頃コネチカット州ウェストポートに家を借りサリンジャーは執筆生活に専念するようになる。この頃から『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始した。1950年の1月『コネチカットのひょこひょこおじさん』(Uncle Wiggily in Conecticut ナイン・ストーリーズ収録作品)を元に作られた映画愚かなり我が心 (My Foolish Heart)をハリウッドのサミュエル・ゴールドウィンが全米公開するが映画の評判は芳しくなく、サリンジャーもこの映画を見て激怒する(それ以来サリンジャーは現在まで自分の作品を映画化することを許可していない)。1950年秋、遂に『ライ麦畑でつかまえて』が完成する。当初ハーコードプレス社から作品は出版される予定だったが「狂人を主人公にした作品は出版しない」と出版を拒否。結局作品はリトル・ブラウン社から出版されることに決まる。『ライ麦畑でつかまえて』は大きな反響(詳しくはライ麦畑でつかまえてを参照)を呼んだ。文壇からは賛否両論があり、また保守層やピューリタン的な道徳的思想を持った人からは激しいバッシングを受けた。しかしホールデンと同世代の若者からは圧倒的な人気を誇り、2007年現在まで全世界で6000万部以上の売り上げを記録。現在でも毎年50万部が売れているという。
しかし『ライ麦畑でつかまえて』の成功でサリンジャーのニューヨークで静かな生活を送ることは次第に難しくなっていった。結果サリンジャーは、ニューハンプシャー州はコネチカット河のほとり、コーニッシュの土地を購入する。イノセンスに憧れを抱くようになったらしいサリンジャーはそこで原始的な生活を送り(家にはライフラインがなかったらしい)、地元の高校生達と親しくなり交流を深めることになる。しかしその関係も長くは続かず、サリンジャーと親しくしていた少女の一人が高校生向け記事を書くことを条件にしたインタビューの内容をスクープとして地元の新聞に載せてしまう。このことに激怒したサリンジャーは、社会から孤立した生活を送るようになり高校生達との縁を切ってしまう。
1955年にラドクリフ大学に在学中のクレア・ダグラスと結婚。一男一女を授かるも1967年に離婚してしまう。孤立した生活を送るようになったサリンジャーは次第に発表する作品数を減らしていく。1953年に短編集『ナイン・ストーリーズ』を、1961年には『フラニーとゾーイー』を、1965年に『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を発表するが、1965年に『ハプワース16、1924年』を発表したのを最後に、現在まで一冊の新刊も発表していない。
現在サリンジャーは滅多に人前に出ることもなく、2メートルの塀で屋敷の回りを囲ませその中で生活をしている。サリンジャーは一度小説を書き始めると何時間も仕事に没頭し続けており何冊もの作品を書き上げている、など様々な噂があるが、現在の彼について正確なことは解っておらずその姿は伝説と謎に包まれている。
主な作品
『危険な年齢』 (橋本福夫 訳) / 『ライ麦畑でつかまえて』 (野崎孝 訳) / 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 (村上春樹 訳)(The Catcher in the Rye, 1951) [1]
『ナイン・ストーリーズ』(Nine Stories , 1953)
『フラニーとゾーイー』(Franny and Zooey, 1961) [2]
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア?序章?』(Raise High the Roof Beam, Carpenters, and Seymour: An Introduction Stories , 1963) [2]
『ハプワース16、一九二四』Hapworth 16, 1924(1965)
現在までに公表されている最後の作品で、 ⇒ニューヨーカー誌に掲載された中編小説。アメリカでは今日まで単行本化されていない。数年前、単行本化が実現しかかったが、事前に書評家 ミチコ・カクタニによる酷評が雑誌に掲載され('From Salinger, A New Dash Of Mystery,' The New York Times, February 20, 1997)、これにショックを受けたサリンジャー自らが企画を取り下げたと言われている。同書の日本語訳は入手可能 (『サリンジャー選集(別巻 1) ハプワース16、一九二四』 荒地出版社、1978年、原田敬一訳)。
全部で30編あった短編集から著者が9編だけ選んだ短編集がナイン・ストーリーズであり、それ以外の短編が以下の物である。以前アメリカの学生が無断で以下の短編集を発行したために、著者が抗議をしたこともあった。しかし、現在日本でも一部入手することは可能となっている。
"The Young Folks"(1940)
"Go See Eddie"(1940)
"The Hang of It"(1941)
"The Heart of a Broken Story"(1941)
"The Long Debt of Lais Taggett"(1942)
"Personal Notes on an Infantryman"(1942)
"The Varioni Brotlers"(1943)
"Both Parties Concerned"(1944)
"Soft Boiled Segment"(1944)
"Last Day of the Last Furlough"(1944) [1]
"Once a Week Won't Kill You"(1944)
"A Boy in France"(1945)
"Elaine"(1945)
"This Sandwich Has No Mayonnaise"(1945) [1]
"The Stranger"(1945)