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ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger, 1919年1月1日 - )は20世紀のアメリカ文学を代表する作家の一人。ニューヨーク市マンハッタン生まれ。代表作『ライ麦畑でつかまえて』は現在でも新たな読者を獲得しつづけている。父はポーランド系ユダヤ人、母はスコットランド=アイルランド系だがユダヤ教に改宗した。
サリンジャーは、シーモア、ゾーイー他、7人兄弟と両親からなるグラース家にまつわる物語の連作を書き続けると言っていたが、1965年に『ハプワース、16、1924』を発表して以降完全に沈黙し、現在はアメリカの田舎に隠遁して40年以上作品発表がない。これまで発表してきた作品の多くもグラース家やホールデン・コールフィールドにまつわるものが多い。
自らの原作(『コネティカットのひょこひょこおじさん』)に基づくハリウッド映画『愚かなり我が心』(1949年)の出来映えに失望した事から映画嫌いになった。そのため『ライ麦畑でつかまえて』の映像化を許しておらず、村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者解説を付けることも許可しなかった等、様々な謎・伝説に包まれた人物である。
『フラニーとゾーイ』頃から作品の中には東洋思想、禅の影響が色濃く、また、サリンジャー自身もホメオパシーに傾倒するなど、全体的に神秘主義的傾向が強まった。そのため、後期の作品では読者層が絞られていく一方、折しもベトナム戦争などの時局も相俟って、ヒッピーなどカウンターカルチャー寄りの人々の支持も少なからず集めるに至った。
長男のマット・サリンジャーは俳優となった。画像:JD Salinger.jpgJ・D・サリンジャー
目次
1 評価
2 生涯
2.1 幼少期から作家になるまで
2.2 軍歴
2.3 『ライ麦畑でつかまえて』
2.4 現在まで
3 主な作品
3.1 ナイン・ストーリーズ以外の短編群
3.2 未出版の短編
4 参考文献
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サリンジャーは無垢なもの(イノセンス)に対する憧れが強い人であると言われる。サリンジャーの主人公達の多くは10代後半〜20代の微妙な世代であり、例えば代表作『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンや、『フラニーとゾーイー』のフラニーは大人社会に適応しようとする反面、子供時代にはなかった『インチキ』や『エゴ』に戸惑い、うまく自己を確立することができない。サリンジャーはその戸惑いを巧みに描くことのできる作家であると評価されている。
1919年1月1日サリンジャーはニューヨークで生まれる。父はポーランド系ユダヤ人の実業家ソロモン、母はスコットランド=アイルランド系のカトリック教徒の娘マリー(彼女は結婚後夫と同じユダヤ教に改宗、名もユダヤ風にミリアムと改めている)。また8歳上の姉ドリスがいる。父は食肉やチーズを販売する貿易会社の経営をしており一家は裕福だったといわれる。
1932年にマークバーニ校(ボーディングスクール)に入学。この頃は演劇に関心を持っており、入学面接では「(興味があるのは)演劇と熱帯魚」と答えている。しかし学業不振を理由に1年で退学処分となってしまう。その後ペンシルバニアのミリタリースクールヴァリー・フォージに入学し卒業まで過ごす。(この学校は『ろくでもない子供をたたき直す』という厳しい教育方針だった。また田舎の保守的な学校でありユダヤ人に対する差別意識があったようだが卒業まで無事過ごす)卒業後、家業を継ぐため親戚のいるヨーロッパに渡る。帰国後は様々な大学を点々とするが1939年にコロンビア大学の聴講生となりホイット・バーネット(トルーマン・カポーティやジョゼフ・ヘラー、ノーマン・メイラーなど数々の新人作家の作品を自らが創刊した文芸誌『ストーリー』で最初に掲載し世に紹介したことで知られる)の創作講座に参加する。バーネットの授業に参加したことはサリンジャーに大きな影響を与えたようであり、サリンジャーの処女作『若者たち』(The Young Folks)が初めて掲載された雑誌は『ストーリー』(1940年3,4月号)である。