G.G.佐藤
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G.G.佐藤(佐藤 隆彦)
埼玉西武ライオンズ No.46
基本情報
国籍 日本
出身地千葉県市川市
生年月日1978年8月9日(30歳)
身長
体重184cm
98kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置外野手
プロ入り2003年 ドラフト7巡目
初出場2004年3月30日
経歴


桐蔭学園高等学校

法政大学

フィラデルフィア・フィリーズ1A

西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
(2004 - )

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

G.G.佐藤(ジー・ジー・さとう、本名:佐藤 隆彦(さとう たかひこ)、1978年8月9日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手外野手)。
目次

1 来歴・人物

1.1 アマ・マイナー時代

1.2 西武時代


2 エピソード

2.1 名言

2.1.1 2008年交流戦



3 テーマソング

4 趣味

5 年度別打撃成績

6 関連項目

//


来歴・人物

登録名の「G.G.」の由来は、中学生時代に、同級生から「猫背でしかも顔が爺臭い」といわれていたためである(爺→G.G.)。喋り好きな性格で、ヒーローインタビューでは「キモティ―――ッ!」と絶叫するパフォーマンスを行うなど、ファンを湧かせるユーモラスな言動で人気がある。ウェイトトレーニングが趣味で、体をビルドアップすることについては余念が無く、その筋骨隆々とした体格を生かした長打力と強肩が最大の持ち味。ベンチプレスは180キロを記録する。守備では主に右翼を守る。


アマ・マイナー時代

桐蔭学園高校から法政大学に進学。大学時代はレギュラーすら掴めず、本塁打も通算で1本のみ。大学卒業後、米マイナーリーグフィラデルフィア・フィリーズ1Aに入団。もともと法大では内野手だったが、フィリーズ1Aで強肩を見込まれ捕手にコンバートされた。

入団テストで伊東勤監督に見出され、2003年にドラフト7位で入団。マイナーリーグを経由して日本のプロ野球に入った異色の経歴を持つ逆輸入選手 である。


西武時代
2004年

1年目から45試合に出場し、打率.298の数字を残した。プロ初本塁打を含む3本塁打も記録。一塁手DHで起用され、捕手としての出場はファームでも一軍でもなかった。8月25日には長打力を買われ3番DHでスタメン出場した。
2005年

捕手が多いというチーム事情から打撃に専念するため、この年から内野手(主に一塁手)となり、さらに2005年後半から外野手に再転向。8月20日に右翼手で先発出場したのがプロ初の外野守備である。1軍では打率.214と振るわずに前年より出場機会を減らしたが、2軍では打率.372、本塁打13本、長打率.634と打撃をアピールした。
2006年

外野手登録でスタートし、プロ入り3年目で捕手、内野手、外野手の3通りで登録されたことになる。伊東監督から「キャンプで最も成長した選手」として名前を挙げられるなど実力をつけ、初の開幕スタメンの座を勝ち取り、一時は4割を越え首位打者を争う活躍を見せた。

しかしその後突然不調に陥り、打率がみるみる急降下してあっという間に2割5分付近まで下がってしまった。また広島から移籍した福地寿樹のスタメン定着などもあり、6月には出場選手登録抹消。外野手登録されたことで守備時の動きを軽くしようとし、趣味のウエイトトレーニングを控え体重を減らしたことが後半のスタミナ不足につながった。

2軍では打率.310でチームトップの11本塁打を放つなど格の違いを見せつけ、9月19日に再登録された。しかし再び活躍することはできず、10月3日に再度抹消されそのままシーズンを終えた。2006年のお立ち台での新ネタとしてパッション屋良を真似たパフォーマンスを用意していたが、日の目を見ることなく終わった。
2007年

オープン戦で前年と同じように打ちまくり、5本の本塁打を放つなど好調ぶりをアピールして、見事に7番ライトで2年連続の開幕スタメンを果たした。その起用に応え開幕戦・開幕2戦目と2試合連続本塁打を放った。また、4月28日の対ロッテ戦でヒーローインタビューを受けた際、2007年シーズンにおける自身のキャッチフレーズを、ファンを愛し、ファンに愛される選手になりたい思いから「愛の波動砲G.G.佐藤」と宣言した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki