ETA(エタ)は、バスク語で「バスク祖国と自由」を意味する言葉 Euskadi Ta Askatasuna を略したものであり、バスク地方の分離独立を目指す急進的な民族組織である。
斧にとぐろを巻くヘビがシンボル。バスク語は、言語学的に周辺のインド・ヨーロッパ語族とは独立しており、系統不明とされている。
対抗組織としてGAL(Grupo Antiterrorista de Liberacion―反テロ解放団、右派)。
目次
1 組織の目標
2 テロ活動
2.1 引き起こした、あるいは引き起こしたと疑われていたテロ事件
3 ETAへの弾圧
4 政治的問題
5 歴史
6 関連書籍
7 外部リンク
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ETAは、スペインやフランスのバスク人居住地域を一つの独立国家として分離させることを目標としている。 その地域には、スペインのバスク地方と関係のあるビスカヤ、ギプスコア、アラバ、ナバラやフランス南西部のピレネー=アトランティック県に位置するラボールド、ソウレなどが含まれている。
彼らがマルクス主義を掲げているのは、リビアやレバノンの場合と同様、過去にキューバなどの共産主義国家に支援されていたためである。そのメンバーがメキシコやベネズエラに政治亡命したこともある。 また、IRA暫定派などのヨーロッパにおけるテロ組織とも関係しているとされている。
ETAは、フランコ政権によるバスク地方への武力弾圧に対する抵抗運動として1959年に創設され、主にスペインで活動してきた。爆弾や暗殺などのテロを常套手段とし、バスク民族主義に反対する政治家やジャーナリスト、知識人、企業家、軍警察、治安部隊などを標的として襲撃した。1960年代よりおよそ800人を殺害している。
その活動範囲はほとんどスペインのバスク地方、マドリード、バルセロナ、そして観光客の訪れる地中海沿岸に限られる。またテロは起こしていないが、フランス国内でも活動している。
ETAの財源は、誘拐、ゆすり、強盗、武器取引、強制的な税の徴収である。
2001年12月にアメリカと全EU諸国で作られたテロ組織のリストにも名前が挙がっている。
以下にETAが引き起こした、あるいは引き起こしたと疑われていた重要なテロ事件を列挙する。
1961年 - ETAによる最初のテロ事件。列車転覆未遂事件。
1968年 - バスク地方の都市サン・セバスティアンで秘密警察の長官メリトン・マンサナスを殺害。ETAによる最初の犠牲者。
1973年12月 - バスク分離主義者が政府によって処刑されたことに対する報復として、マドリードで首相のルイス・カレロ・ブランコを暗殺。
1985年9月 - ETAによる最初の車爆弾がマドリードで爆発、アメリカ人が1人死亡し、軍警察16人が負傷。
1986年7月 - マドリードで再び爆弾事件、軍警察12人が死亡し、50人が負傷。
1987年6月19日 - バルセロナのスーパーマーケットを襲撃し、市民21人を殺害、45人が負傷。
1995年 - スペインの右派政党の指導者で前首相のホセ・マリア・アスナール暗殺未遂事件。スペイン国王フアン・カルロスの暗殺失敗。
1997年 - バスク自治州エルムア市議ミゲル・アンヘル・ブランコの誘拐殺人。これに対し600万人のスペイン国民が抗議デモを行う。
2000年2月22日 - 社会労働党の政治家フェルナンド・ブエサが彼のボディガードとともにビトリアで暗殺される。
2000年11月21日 - 社会労働党の保健相エルネスト・リュックがバルセロナで銃撃され死亡。
2001年11月6日 - マドリードで車爆弾が爆発、95人が負傷。
2002年5月1日 - マドリードのサッカースタジアム近くで、UEFAチャンピオンズリーグの準決勝開始直前に車爆弾が爆発。
2002年6月21日 - フエンヒローラ、マルベラ、サラゴサで同時多発的に車爆弾が爆発。
2004年3月11日 - スペイン列車爆破事件。