B.J.ライアン
B. J. Ryan
トロント・ブルージェイズ No.52
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ルイジアナ州ボージャーシティ
生年月日1975年12月27日(32歳)
身長
体重6' 6" =約198.1cm
260 lb =約117.9kg
選手情報
投球・打席左投左打
守備位置投手
プロ入り1998年 17巡目
初出場1999年7月28日
年俸$12,000,000 ⇒[1](2008年)
経歴
シンシナティ・レッズ(1999年
ボルチモア・オリオールズ(1999年 - 2005年)
トロント・ブルージェイズ(2006年 - )
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
B.J.ライアン(Robert Victor Ryan, Jr , 1975年12月28日 - )は、MLBトロント・ブルージェイズ所属の投手。左投左打。アメリカ合衆国ルイジアナ州ボージャーシティ出身。
目次
1 経歴
2 選手としての特徴
3 年度別成績
4 脚注
5 外部リンク
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1998年にドラフト17巡目でシンシナティ・レッズに指名されて入団。翌1999年7月28日にメジャーデビューを果たすが、1試合に登板しただけで、同年の7月31日にボルティモア・オリオールズにトレードされる。移籍先では13試合に投げて防御率2.95の好成績を残す。
翌2000年開幕から5月2日までの1失点に抑えていたが、それ以後の9試合の登板で16自責点の成績で、6月9日にマイナーへ降格した[1]。その後マイナーでは14試合に登板し、フューチャーズゲームに投げてはいないが選出されている[1]。7月30日にメジャへ復帰し、新人投手としてリーグ4位の42試合に登板したが、防御率は5.91に終わった[1]
メジャーで1年を通してプレーをした2001年はチームでバディ・グルームの70試合に次ぐ61試合に登板し、5月16日にメジャー初セーブを記録した[2]。2002年は67試合に登板した。
2003年に一気に飛躍。5月1日の対デトロイト・タイガース戦で、1?2と1点を追う7回2死1塁で登板すると、初球を投げる前に1塁走者だったオマー・インファンテを牽制球で刺してチェンジ、直後に味方打線が3点を奪い逆転したため残る8回と9回を別の投手が引き継いでリードを守りきったため、メジャーリーグ史上初めて(97年ぶりという説も)、打者に対して1球も投げずに勝利投手になった[要出典]。ティッピー・マルティネス(1982年)の球団記録に並ぶ76試合に登板し、防御率も前年の4.68から3.40まで下げ、奪三振率は11.25でリーグ2位[3]。2004年も好調を続け、昨年記録した球団タイ記録と同じ76試合に登板。防御率は2.28まで下がった。リリーフとして122奪三振を記録し、奪三振率は昨年を上回り、アーマンド・ベニテス(1997年 13.01)に次ぐ球団史上2位となる12.62[4]。
続く2005年は、コントロールが定まらなかったホルヘ・フリオに代わり、抑え投手としてシーズンを迎えると、あれよあれよのピッチングを見せて36セーブをマーク。一躍オリオールズのクローザーに躍り出たかに見えたが、同年オフにフリーエージェントとなり、同年11月に5年総額4,700万ドルでブルージェイズへ移籍。
2006年もクローザーとしてしっかりと役割を果たし、リーグ3位となる38セーブをマーク。しかも、防御率は1.37という驚異的な数字で、その数字はあのニューヨーク・ヤンキースの抑えの切り札である大投手・マリアーノ・リベラをも上回る数字だった(リベラの防御率は1.80)。また、この年の38セーブは、ブルージェイズ史上4人目の年間35セーブ達成者となる快挙であった。
しかし、2007年はわずか5試合の登板に終わった。4月14日の登板で4失点で救援失敗。翌日に左ヒジ痛が発覚して故障者リスト入り。予想以上に重症でトミー・ジョン手術を受けた[5]。
スリークォーター或いはややサイドハンド気味から、ツーシームとスライダーを中心に投げ分ける。