B寝台(びーしんだい)は、JR及びJR車両が乗り入れる私鉄における寝台車の区分の一つである。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 戦前の三等寝台車
2.2 三等寝台車の復活
2.3 寝台設備の改善
3 個室B寝台
3.1 名称
4 ギャラリー
5 関連項目
6 外部リンク
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3等級制当時(1960年以前)の「三等寝台車」および、2等級制当時(1960年〜1969年)の「二等寝台車」の後身に相当する。
2008年現在、開放型寝台と個室寝台の両方が存在する。開放型寝台は、古くは3段式を標準としたが、現在では全ての車両が2段式となっている(581・583系寝台電車を除く)。個室寝台は1980年代中期以降登場してきたもので、1人用・2人用・4人用の各タイプが存在する(4人用は開放寝台としても使用できる)。
設備グレードは座席車における普通車に相当し、車体の記載記号は等級記号であるイロハの「ハ」と、寝台車を表す「ネ」を組み合わせた「ハネ」である。
寝台車そのものの考案は1865年にまで遡るが、大衆乗客向けの簡易な構造を採った寝台車は、1910年代に北欧に出現したのが最初である。
日本の寝台車は山陽鉄道が、1900年に「一等寝台車」、1903年に「二等寝台車」を導入したのが最初である。しかし、大衆向けの「三等寝台車」は、時代が遙かに下ってからの登場となる。
1920年代から1930年代中期にかけて、不況下にあった鉄道省は一般乗客誘致のために様々な施策を行った。その一環として1930年に最初の「三等寝台車」であるスハネ30000形が開発され、翌年までに30000〜30009の計10両が製作された。
外見的な最大の特徴は深い丸屋根であるが、これは従来のダブルルーフ(二段屋根)では車両限界をフルに生かせず、上段寝台が窮屈になることから、国鉄で初めて本格的に採用されたものであった。この車両に見られる、限界まで車体高さを確保しようとする設計思想は、現代の寝台車でも踏襲されている。なお、この形式は工程に溶接を多く導入し、リベットを減らしている。台車は当時の客車用標準型であったTR23形であった。
レイアウトは、既にヨーロッパに登場していた簡易寝台車の流れを汲むもので、片側通路式、3段式寝台を枕木方向に配置して6人収容のボックスを9組配置し、定員54人を確保していた。
寝台の規格は、長さ1,900mm、幅520mmで、一人当たりのスペースは最小限であった。また、当時は各寝台にカーテンも設けられていなかった。このあたりは、現在でもヨーロッパの鉄道に運行されているクシェット(簡易寝台車)に似ている。
この車両は、1931年から東海道・山陽本線の特急・急行列車に連結された。寝台料金は上段80銭、中段・下段1円50銭と記録され、決して格安ではなかったが、三等乗客でも横になって旅行できるということで好評を得た。
スハネ30000形の実績を考慮し、改良型の三等寝台車であるスハネ30100形が開発された。車体高をわずかに増加させて寝台上下の余裕を増やし、寝台長さを削って通路幅を拡大させている。また、利用者にとっての最大のサービス改善としては、寝台カーテンの装備が挙げられる。
スハネ30100形は、1931年から1937年までに30100〜30209の合計110両が製造されて、全国の特急・急行列車に連結された。各列車に1、2両連結される程度であったが、利用率は高かったという。
1941年の客車称号改正により、スハネ30000形はスハネ30形に、スハネ30100形はスハネ31形になったが、1937年以降の戦時体制下では三等寝台車そのものが輸送力増強と相反する「過剰サービス」と見られるようになり、称号改正前の1940年から三等座席車への改造が行われた結果、オハ34形に吸収された。1941年7月には三等寝台車の営業そのものが廃止された。
太平洋戦争後の混乱期において、日本の鉄道は増加する輸送需要への対応と、進駐軍の輸送業務とに追われ、戦前並みのゆとりを持った旅客サービスの復活は遅れた。それでも社会が安定してきた1950年代中期になると、多数派である三等乗客へのサービス向上が検討されるに至り、その結果三等寝台車も復活することになる。
1955年に開発された超軽量客車ナハ10形の構造を元に、超軽量の三等寝台車ナハネ10形が開発され、1956年初めから東海道本線の急行列車に連結されて大きな成功を収める。レイアウトは戦前のスハネの流れを汲み、寝台幅も520mmであったが、車体幅が拡大されたため寝台長さが延長された。以後、ナハネ10形ほかの10系寝台車は1965年まで大量に製作され、全国の急行列車に用いられる(但し、前年に一等寝台車「イネ」は二等寝台車「ロネ」に格下げとなっていたため、戦前に存在したイネ・ロネ・ハネの三等級が連結された列車はついに復活しなかった。
寝台需要の増加に10系寝台車の製作が追いつかず、戦前の元・三等寝台車であったオハ34形が1959年〜1962年にかけて計102両も三等寝台車に復元改造された(スハネ30形99両、スハネフ30形3両。1974年までに廃車)。内装は10系に準じたものを新製装備している。
10系寝台車の延長上に、1958年には特急列車用の20系客車が開発された。20系は空気バネ台車を装備し、冷暖房を完備した優秀な車両であるが、三等寝台車の設備レイアウト自体は10系同様の520mm幅3段式である。
なお1960年の2等級制移行に伴い、従来の三等寝台車は、新たに二等寝台車に改名・移行している。
二等寝台車になっても車両不足は恒常的で、1961年には在来型客車の部品を流用した改造軽量寝台車のオハネ17形が開発され、1965年までに実に302両が製作された。
20系客車までの二等寝台車(旧・三等寝台車)は、いずれも輸送力を重視した車両であった。寝台の幅が520mmと狭く、また3段寝台ゆえに寝台面から天井までの高さは平均60cm程度で、ひとたび横たわれば身動きもままならない窮屈なものであった。養蚕農家のそれになぞらえた「カイコ棚」という揶揄もあったほどである。
1967年に開発された初の寝台電車である581系電車は全車二等寝台車だったが、寝台幅を700mmに拡大した(下段のみ1,060mm)。これによって寝返りを打てるゆとりはできたものの、寝台内で起きあがることはできなかった。
1969年のモノクラス制移行により、二等寝台車はB寝台車と改名された。
1971年開発の14系客車でもB寝台車寝台の700mm幅は踏襲されたが、相変わらず3段寝台であった。
1974年登場の24系25形客車では2段寝台が導入され、居住空間が改善された。寝台面から天井までの高さが90cm以上となったことで、寝台内で背を起こし、衣服を変える程度のゆとりは確保された。