A寝台
★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[Wikipedia|▼Menu]

A寝台(Aしんだい)とは、JR及びそこから乗り入れる私鉄における寝台車の区分の一つ。座席車グリーン車に相当する。

車体の種別記号は等級記号であるイロハのロと、寝台車を表すネを組み合わせたロネである。3等級制時の1等・2等寝台車、2等級制時の1等寝台車にあたり、これらについても本項で記述する。

個室寝台車と開放式寝台車の2種類があるが、21世紀初頭現在のA寝台においては個室寝台が主流となっている。
目次

1 等級制時代

1.1 戦前

1.2 戦後の展開


2 等級制廃止後現在まで

3 ギャラリー

4 旧1等寝台車の保存車両

5 脚注

6 参考文献

//


等級制時代


戦前

日本の鉄道における寝台車は、1900年に山陽鉄道神戸-三田尻(現・防府)間急行に連結した1等寝台車が最初である。寝台は長手方向上下2段で、下段は昼はロングシートとし、夜は背ずりを引き下げて寝台幅を拡張した[1]。山陽鉄道はさらに1903年には2等寝台車も開発している[2]。なお日本初の食堂車は、1899年5月25日に山陽鉄道が運行したが、このときの食堂付一等車の車両が食堂付1等寝台車だったとの説もある[3]

以後、官営鉄道日本鉄道が追随し、鉄道国有化後には長距離列車に欠かせない存在となった。地方の長距離普通列車にさえも、車体の半分が2等寝台となった車両が連結されていた時期がある。

戦前の3等級制時代には、1等寝台車(記号イネ)は室内に折畳み洗面台を備えた2人又は4人用区分寝室、2等寝台車(記号ロネ)は2段のツーリスト式開放寝台を標準とした。ツーリスト式とは、窓を背にしたソファー形式の座席(一種のロングシート)が、夜間はそのまま下段寝台として使われる構造である(上段は折り畳み式。1960年代までに消滅した)。台車には、当時乗り心地の良い台車とされていた3軸ボギー式台車を用いた。

当時の優等寝台車は多車種少量製作で変形車が多く、2等寝台車ではあるが、例外的に4人用区分寝室を備えた車両(マロネ37480形。後のマロネ38形)や、定員2名の特別室を備えた1等寝台車等も存在した(マイネ37130形。後のマイネ38・マロネ49形)。このマイネ37130形には、当時の鉄道大臣の発案でシャワールームを改造装備したものが1両存在し、特急「富士」に運用されたが、シャワー自体当時の日本人に馴染みがなく、短期間で消滅した。

変わった存在としては、ダブルベッドを備えた寝台車が、明治末期〜大正中期に存在した。1910年(明治43年)9月より、新橋〜神戸間の急行列車に連結された2等寝台車「ロネ9140形」に「2等寝台2人床」と呼ばれる寝台が設けられた。これは大人2人が寝ることができるダブルベッドを備えたもので、夫婦での利用を考慮したものとされる。1912年に運転開始した日本初の特別急行列車、1・2列車(後の「富士」)に連結されたスロネ10055形のプルマン式寝台の下段も同様である[4]。この「2等寝台2人床」は、1918年(大正7年)11月に「2等寝台大型」と改称され、大人2人での利用は禁止された。その理由としては、当時、第一次世界大戦で巨額の富を得た成金が、芸者を連れて「不純な行為」をするなど、本来の目的からは離れた利用実態が、世間の猛烈な批判を招いたことにあるとされる。日本の寝台車においてダブルベッドが復活するのは、70年以上が経過したJR発足後のこととなる。


戦後の展開

太平洋戦争後の一時期、優等寝台車は進駐軍専用に運用されていたが、1948年に戦後初の新造1等寝台車マイネ40形が新製され、この時期から日本人でも乗車できる寝台車が復活した。この寝台車は製造当初から冷房を搭載した日本で初めての寝台車である。なおこの年11月10日に復活した当初は「特別寝台車」と称し、翌年5月1日に1等寝台車と呼称を改めた。

その後1等寝台車増備や進駐軍接収の1等・2等寝台車の返還が進行し、また4人用区分室方式の2等寝台車(マロネ39形スロネ30形等)が新製や在来車改造で登場した。こうして1950年代前半には日本各地の長距離急行列車において、1等・2等寝台車が、ほぼ戦前並みに復活した。

 1955年等級改正対照表[5]格下前形式格下後形式寝台定員冷房
ABCは2等
寝台の等級○:全車有
△:一部車輌有
×:無
マイネ40マロネ40A6/B16○
マイネ41マロネ41B24○
マイネ29マロネ48A20×
マイネ38マロネ49A17△
マイロネ39マロネ58A2/B12×
マイネフ29マロネフ48A18×
マイネフ38マロネフ49A16×
マロネフ38マロネフ58A8/C12×
マイロネフ38マロネフ59A2/B12×

しかし、1等寝台は当時の航空料金よりも高くなる区間があるなど、その運賃・料金の高さによって利用率が低迷する一方で、2等寝台車は需要が非常に高かったことから、1955年(昭和30年)7月1日に1等寝台は廃止され、1等寝台車は2等寝台車に格下げ統合された。旧1等寝台の形式称号である「イネ」も廃止され、「ロネ」となった。このとき旧イネの形式番号は40以上とされた[5]

このとき2等寝台車のうち、旧1等寝台区分室を2等A寝台、旧1等寝台開放室冷房(マロネ40のプルマン式寝台等)を2等B寝台、従前からの2等寝台開放室非冷房を(マロネ29のツーリスト式寝台等)2等C寝台とした。ただし、旧1等寝台でも冷房のないものは様々な基準で等級づけされ、実際の整理の経緯は複雑である。

右の1955年等級改正対照表でマロネフ58形とされたマロネフ38形は0番台。(本車はもと1等区分室をもっていたが需要が見込めずこれ以前に2等特別室(特ロネ)に格下げされていてこのとき2等Aとされたので特にここに含める)。マロネフ38形(10番台)は改正前同様に1等区分室を2等特別室に格下げ改造した際洗面台を撤去していたので、2等Cとされマロネフ38形のままとされた。

従来から2等寝台であった客車は、全車4人用区分室のマロネ39形、スロネ30形も、一部区分室を含むマロネ38形も、ツーリスト式寝台と同様すべて2等Cとされた。この後1958年増備されたナロハネ10形の2等部分はプルマン式寝台であるが非冷房で2等Cとされ、1959年のオロネ10形は当初から冷房設備があり2等Bとされた[6]


■即会いH掲示板■
■18歳以上「入口」■

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki