この項目は 軍事境界線_(朝鮮半島) との間で記事内容の一部転記が提案されています。
議論は ノート:38度線 を参照してください。
このタグは2008年2月に貼付されました。
38度線
38度線(38どせん、英語:38th parallel north)は大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍事境界線である。
北緯38度付近に位置することからこう呼ばれている。韓国では38線(38?、三八線)と呼んでいる。また、38度線は韓国と北朝鮮の事実上の国境でもある。
北緯38度線と軍事境界線の交差座標: ⇒北緯38度0分0秒東経126度47分13.20秒
目次
1 第二次世界大戦の終結と南北分断
2 朝鮮戦争と停戦ライン
3 北緯38度線が横断する国
4 関連項目
5 外部リンク
//
朝鮮半島の南北分断は、日本統治時代に、北緯38度線の南側は朝鮮軍、北側は関東軍の管轄であった事が切っ掛けであったとも言われる(かつての軍事独裁期の韓国の歴史研究ではこの事が強調され、半島分断の主たる責任は日本と言う意見が強かった)。しかし実際に北緯38度線で朝鮮を南北分割するように進言したのは、アメリカ国防総省の2人の若い将校であったチャールズ・ボーンスティルと後に国務長官となるディーン・ラスクであった(近年の韓国ではこちらが強調され、半島分断の主たる原因はアメリカとされている)。
朝鮮の分割占領が1945年2月に行なわれたヤルタ会談において決定されたという説がなぜか流布しているが、ヤルタ会談では朝鮮の処理については独立させるということ以外、決定されておらず誤解である。第二次世界大戦後、北緯38度線以北をソ連軍が占領し、以南をアメリカ軍が占領したのは、旧満州に侵攻したソ連軍の進撃が予想よりも速かったこと、及び、アメリカ軍にはソ連軍に対抗して即時に朝鮮占領に振り向ける兵力が不足していたことから、なし崩し的に北緯38度線を境として分割占領となったに過ぎない。一方、朝鮮半島内では、日本の敗戦より朝鮮人による自立を始めようとしたが、右派と左派のそれぞれの思惑が入り混じり、またアメリカやソ連の思惑などもあって纏まらず、1948年には北緯38度線を境に以北を金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国を、以南が李承晩を大統領とする大韓民国と言う2つの国家に分裂することになった。この当時(第二次世界大戦後から朝鮮戦争勃発まで)の南北の境界線は、ほぼ北緯38度線上にあった。
大韓民国(韓国)の成立は48年8月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の成立は48年9月。これは日本敗戦の当初、国連が定めた「信託統治のうえでの統一・独立」を南朝鮮とアメリカが受け入れなかったためである。金日成の評価は、抗日戦争の英雄からソ連の傀儡まで分かれていて、ここでは論じないが、48年当時人民への人気という点では李承晩(韓国の初代大統領)は金日成にかなわなかった。
その後1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し、1953年に板門店で休戦協定が結ばれた。この際、休戦協定直前の最前線が停戦ラインとされ、停戦ラインから南北2?ずつを非武装地帯(DMZ, Demilitarized zone)と呼ばれる緩衝地帯として設置し、朝鮮半島を横切る無人の地域となっている。また南北双方は侵入を防ぐ目的で、非武装地帯を何重にも鉄条網や高圧電線で囲い、幅4?の帯状のこの地域に多くの地雷を敷設している。以後この停戦ラインは軍事境界線として、2008年現在も南北の事実上の境界線(国境)となっている。
占領政策の過程で北緯38度線上に1本の境界線が引かれたこと、そして、その後に南北に異なるイデオロギー政権が生まれたことが3年間の朝鮮戦争の原因となり、各方面へ多くの犠牲をもたらした。しかし、南北の境界線は、戦争中に南へ北へと移動しても消えることはなく、結局、戦争をもたらした北緯38度線の付近に、停戦ラインを引く結果となってしまった為、朝鮮戦争は「意義のない戦争」であると言われることがある。
現在、38度線と言えば、この停戦ラインを指すことが多い。 但し、停戦ラインの38度線はあくまでも「付近」であり、実際には西南西から東北東へと向かう歪な線となった。その為、第二次世界大戦後から朝鮮戦争勃発までは南側であった黄海道の海岸部や京畿道の開城は朝鮮戦争停戦後には北側となり(但し、北側になってからの開城は京畿道ではなく、直轄市あるいは特別工業地区などとして統治された)、逆に江原道の一部(束草市など)は北側から南側となった。
韓国鉄道公社の路線では、京元線がこの38度線を跨いで運行されている。同線が北緯38度線を越す位置には、それを現す標柱なども建てられている。
北緯38度線が横断する国
アメリカ合衆国