三億円事件(さんおくえんじけん)とは、
東京都府中市で1968年12月10日に発生した、日本史始まって以来の巨額の現金が奪われた事件である。三億円強奪事件とも呼ばれる。以下、本稿にて記述する。
東京都千代田区有楽町で1986年11月25日に発生した、現金強奪事件。「有楽町三億円強奪事件」、「有楽町三億円事件」とも呼ばれる。
三億円事件(さんおくえんじけん)は、東京都府中市で1968年12月10日に発生した、窃盗事件である。三億円強奪事件といわれることもあるが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。
目次
1 時効
2 事件の経緯
3 捜査の推移
3.1 遺留品の分析
3.2 モンタージュ写真による捜査
3.3 ローラー作戦
3.4 その他の捜査
4 本事件による被害とその影響
5 事件を扱った作品
5.1 小説
5.2 漫画
5.3 映画
5.4 テレビドラマ
5.4.1 パロディ
5.5 音楽
5.6 事件のモデルになったと言われた作品
6 参考文献
7 脚注
8 外部リンク
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時効
1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効成立。(時効期間7年)
1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立。(時効期間20年)
1968年(昭和43年)12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。
そこへ警官に変装して擬装白バイ(オリジナルは青)に乗った犯人が、バイクを隠していたと思われるカバーを引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って行員を輸送車から降ろさせた。
この4日前にも、支店長宛ての脅迫状が送り付けられていたため、その雰囲気に行員たちは呑まれてしまっていた。犯人は、輸送車の車体に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ!早く逃げろ」と避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。
この出来事の目撃者には銀行員のほか府中刑務所の職員、近くにいた航空自衛隊員などがいた。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧だったり勘違いだったりすることもあった。
直ちに緊急配備が敷かれ、要所要所で検問が実施されたところ、杉並区内の検問所で“銀色のトランクを積んだ灰色ライトバン”を捕捉したが突破された。これが最後に目撃された犯人の姿といわれる[1]。
被害金額は、約3億円(2億9430万7500円)。当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約80億円にあたる(計算方法によっては30億円とする意見もある)。捜査には九億円が投じられた。
犯人が残した遺留品が120点もあったため、犯人検挙については楽観ムードであった。ところが、遺留品はどれも一般に出回っているものであったため犯人を特定する証拠とはならず、大量生産時代の弊害に突き当たってしまった。犯人の主な遺留品は以下の通り。
メガホン
遺留品の一つであるメガホン(拡声器。偽白バイに広報用スピーカに見せかけるため取付けられていた)は、製造番号から5台が出回っていることが分かり、4台まで所在を確かめた。残る1台は盗難に遭っており、この最後の1台が犯行に使用された物と思われる。
新聞紙
メガホンは、白ペンキで2度塗装されていた。捜査に行き詰まっていたある日、上の塗装がはがれた部分に4mmほどの新聞紙の紙片が付着しているのを発見。地道に新聞紙を調べたところ、1968年12月6日の産経新聞朝刊婦人欄の「食品情報」という見出しの「品」の字の右下部分の一部であることが判明した。紙片の分析の結果、紙は愛媛県伊予三島市の大王製紙の工場で作られた物と判明。