1959年のプロ野球・日本シリーズは、セントラル・リーグの大会記録更新(当時)となる5連覇を飾った水原茂監督の読売ジャイアンツと、パシフィック・リーグを1955年以来4年ぶりに制した鶴岡一人監督率いる南海ホークスとの4年ぶり、通算5回目の対決となった。
目次
1 戦前の予想
2 各試合の概況
2.1 第1戦
2.2 第2戦
2.3 第3戦
2.4 第4戦
3 試合結果
3.1 第1戦
3.2 第2戦
3.3 第3戦
3.4 第4戦
4 テレビ・ラジオ中継
4.1 テレビ中継
4.2 ラジオ中継
5 エピソード
6 関連項目
7 外部リンク
//
1951年・1952年・1953年・1955年と過去4回巨人が日本シリーズで南海を下しており、戦前の予想では「巨人有利」の声が高かった。しかし、巨人は西鉄に3年連続で敗退(1956年?1958年)したことが響き4年ぶりとなる対南海5連勝はならなかった。
大阪球場で開幕。南海はエース杉浦忠の先発だったが、巨人はエース対決を避けて藤田元司ではなく左腕の義原武敏を先発に立てた。1回裏1死、半田春夫の三遊間への当たりを長嶋茂雄がファンブル。これを皮切りに広瀬叔功が二塁打でチャンスを広げる。続く杉山光平の当たりはセカンドゴロだったが、土屋正孝のバックホームが間に合わず南海が先取点(記録は土屋の野選)。さらに1死1、3塁のチャンスに大沢啓二、野村克也が連打して2点を追加。義原はわずかアウト1つ取っただけでKOとなった。巨人はベテラン別所毅彦をリリーフに送ったが、南海は岡本伊三美の犠牲フライ、寺田陽介、杉浦の連打でさらに2点を追加。巨人の守りのミスに乗じて初回5点を挙げた。
さらに岡本が3回、5回に別所から2打席連続本塁打。7回には3人目の伊藤芳明に集中打を浴びせ3点を追加した。
杉浦は本調子ではなかったが、8回を3失点とまずまずの投球。しかし9回、巨人が反撃。杉浦温存のためリリーフした祓川正敏から先頭の代打・王貞治が四球で出塁すると、広岡達朗、土屋が連続二塁打。さらに代わった皆川睦男から長嶋も二塁打で続き、さらに2単打を集め4点を返した。なおも四球を絡め2死満塁。一発出れば逆転の場面だったが皆川が踏ん張り代打・十時啓視をセカンドゴロに打ち取り、ゲームセット。南海が辛くも逃げ切った。
南海は田沢芳夫、巨人はエース藤田元司の先発。巨人は初回、長嶋の2ランで先制。2回にも南海2番手・三浦清弘を攻め1死1、3塁のチャンスを得るが、藤田が痛恨のスクイズ失敗。巨人の勢いを止めてしまう手痛いミスだった。南海は4回集中打で4点を挙げ逆転。6回にも2点を挙げ、試合を決めた。5回から登板した杉浦が第1戦に続いて勝利投手。
後楽園球場に舞台を移しての第3戦は巨人藤田、南海杉浦のエース対決となった。1回裏、巨人はエラーで出塁した土屋が盗塁でチャンスを広げ、4番長嶋のタイムリーヒットで先制。しかし、2回表ヒットで出塁した杉山を一塁に置いて野村が左中間スタンドへ逆転2ラン本塁打。
7回裏、先頭の長嶋が右中間に火の出るような当たりを飛ばしたが、センター大沢が好捕。バッターが右の強打者にも関わらずあらかじめ右寄りに守備位置を変えていた大沢の好判断だった。
このまま南海が逃げ切るかに思われたが、9回裏、先頭の坂崎一彦が起死回生の同点本塁打。続く国松彰もヒットで出塁。広岡のバント失敗で走者が入れ替わるものの続く加倉井実の二塁打で1死2、3塁とサヨナラのチャンス。この場面で杉浦は内心「代えてほしい」と思ったというが、続投。続く森昌彦の当たりは左中間への浅いライナー。しかし再びセンター大沢がこれを好捕。好返球で三塁走者の広岡も本塁タッチアウトでピンチを脱出した。このプレーもバッターが左打者にも関わらず左中間の浅い位置に守備位置を取った大沢の好判断によるものだった。
10回表、2死1塁から寺田が右中間へタイムリー二塁打。その裏、杉浦は1死から土屋にヒットを許したものの藤尾茂を三振、長嶋をショートフライに打ち取り、10回を142球完投。