ドイツではプロイセン王国において、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が先王が約束した憲法制定を拒否したため、ベルリンで自由主義者による暴動と言う形で革命が伝播した。王はやむを得ず憲法の制定に同意したが、終始自由主義に対して否定的だった事には変わり無かった。
こうした中で、神聖ローマ帝国崩壊後のドイツ統一を目指した国民議会がフランクフルトに召集された。
この会議ではドイツ統一にオーストリア帝国も含めた大ドイツ主義とプロイセンを中心とした枠組みでドイツの統一を図ろうとする小ドイツ主義が激しく対立した。
結果、小ドイツ主義者の勝利に終わった国民会議は翌49年プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世をドイツ皇帝に推挙したが、王は国民議会によって送られた帝冠を拒否し国民議会の試みは失敗に終わった。
結局この後、国民議会は反革命勢力の弾圧によって解散させられてしまった。
フランクフルト国民会議で示された、プロイセンを中心とする小ドイツ主義はその後のドイツ統一に一定の筋道を立てた。
又、オーストリアの諸民族による民族自治の要求はオーストリア・ハンガリー二重帝国の成立と言う形で部分的にではあるが受け入れられた。
デンマークにおいては、ヨーロッパ諸国の動向を受けて、絶対王政を廃止した。しかし、長年ドイツとの係争地であったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国でドイツ系の反乱を契機にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発し1852年まで続いた。これはドイツのゲルマン主義、北欧の汎スカンディナヴィア主義の衝突であった。
関連項目
ピエール・ジョゼフ・プルードン
ブランキ
ミハイル・バクーニン
リヒャルト・ワーグナー
東欧革命
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題
分離同盟戦争 - 1847年に起きたスイス最大の内戦。1848年に自由主義者によって、「スイス連邦」が成立。1848年革命に影響を及ぼした。
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更新日時:2008年7月11日(金)09:51
取得日時:2008/08/26 23:11