1796年アメリカ合衆国大統領選挙(1796ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1796)は、アメリカ合衆国の大統領選挙としては3回目にして初めて競合があり、大統領と副大統領を対立する党派から選んだことでも最初のものとなったので、当初の選挙人選挙の仕組みの欠陥を曝すことになった。
現職の副大統領ジョン・アダムズが、トマス・ピンクニーを副大統領候補として連邦党から出馬した。アダムズが勝って大統領となったが、対立するトマス・ジェファーソンがピンクニーより多くの票を獲得して副大統領になった。
目次
1 一般選挙
1.1 候補者
1.2 選挙運動
1.3 結果
1.3.1 組み合わせによる詳細
2 その後
3 選挙人の選出
4 脚注
5 関連項目
6 参考文献
7 外部リンク
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候補者
ジョン・アダムズ、マサチューセッツ州出身、副大統領
サミュエル・アダムズ、マサチューセッツ州知事
アーロン・バー、ニューヨーク州選出アメリカ合衆国上院議員
ジョージ・クリントン、元ニューヨーク州知事
オリバー・エルスワース、コネチカット州出身、アメリカ合衆国最高裁判所主席判事
ジョン・ヘンリー、メリーランド州選出アメリカ合衆国上院議員
ジェイムズ・アイアデル、ノースカロライナ州出身、アメリカ合衆国最高裁判所陪席判事
ジョン・ジェイ、ニューヨーク州知事
トマス・ジェファーソン、バージニア州出身、元アメリカ合衆国国務長官
チャールズ・コーツワース・ピンクニー、サウスカロライナ州出身、元少将
トマス・ピンクニー、サウスカロライナ州出身、元駐フランス・アメリカ大使
ジョージ・ワシントン、バージニア州出身、大統領
現職の大統領ジョージ・ワシントンが3期目の出馬を拒んだので、現職の副大統領ジョン・アダムズが連邦党の大統領候補となり、知事の経験があるトマス・ピンクニーが次に人気のある連邦党員として副大統領候補となった。対抗馬は民主共和党のトマス・ジェファーソンであり、副大統領候補にはアーロン・バー上院議員を指名した。ただし、この時点では副大統領候補という制度が正式には無かったので、どの党から出てこようと各人が大統領候補であった。
それまでの2回の選挙が結果は既定の事実であったのとは異なり、情勢が伯仲していたので、民主共和党はジェファーソンを、連邦党はアダムズを一生懸命応援した。議論は辛辣なものとなり、連邦党は民主共和党をフランスの過激な革命派と結びつけ、民主共和党は連邦党を君主主義や貴族政治に賛成していると非難した。外交政策では、民主共和党がジェイ条約はあまりにイギリスの肩を持ちすぎていると言って連邦党を非難し、一方、フランス大使は選挙直前に公然と民主共和党を支援し、連邦党を攻撃することで民主共和党を当惑させた。
当時の選挙の仕組みでは、選挙人が2票を持っており、どちらも大統領候補に投じられた。大統領選で2位になったものが副大統領に選ばれた(これはアメリカ合衆国憲法修正第12条が成立するまでの方法であり、憲法修正第12条では副大統領候補を指名する方法に変えた)。