この節は、ウィキプロジェクト 紀年法のガイドラインに基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。凡例
分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
干支 : 乙巳
日本
平家方 : 寿永4年(-3月24日)
源氏方 : 元暦2年、文治元年8月14日 -
皇紀1845年
中国
南宋 : 淳熙12年
金 : 大定25年
中国周辺
西遼 : 天禧8年?
西夏* : 乾祐16年
後理 : 元亨元年
朝鮮
高麗 : 明宗15年
檀紀 : 3518年
ベトナム
李朝 : 貞符10年
仏滅紀元 : 1727年 - 1728年
イスラム暦 : 580年 - 581年
ユダヤ暦 : 4945年 - 4946年
できごと
平氏軍が屋島の戦いに敗れ海路西へのがる。
4月25日(元暦2年3月24日) - 壇ノ浦の戦いに平氏一門が全滅し安徳天皇が入水。
源義経の勝報が鎌倉の頼朝に届く。
無断任官の東国武士24人頼朝により処罰される。
源頼朝の命により土佐坊昌俊義経を襲撃するも失敗後白河法皇より源義経頼朝追討の院宣を賜る。源頼朝大群を発する。
源義経追討の院宣出る。源義経大物浦より船出し消息を絶つ。
9月8日(寿永2年8月20日) - 第82代後鳥羽天皇が即位(-1198年)
源広綱、駿河守に就く。
源頼朝、守護・地頭を設置。
島津忠久、島津荘の下司識に就く。
九州に鎮西奉行が設置される。
死去
4月25日(元暦2年3月24日) - 平経盛、武将(* 1125年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平教盛、武将(* 1128年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平時子、平清盛の妻・安徳天皇の祖母(* 1126年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平知盛、武将・平清盛の子(* 1152年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平教経、武将(* 1160年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平資盛、武将(* 1161年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平有盛、武将(* 1164年)
4月25日(元暦2年3月24日) - 平行盛、武将(生年不詳)
4月25日(元暦2年3月24日) - 安徳天皇、第81代天皇(* 1178年)
7月19日(元暦2年6月21日)- 平宗盛、平清盛の三男(*1147年)