首相辞任後、黒田は枢密顧問官になった。明治25年(1892年)8月8日、第2次伊藤内閣の逓信大臣になった。伊藤内閣のもとで日清戦争が起こったが、特に活躍することなく、明治28年(1895年)に枢密院議長となった。明治26年(1893年)から体の不調が募り、仕事に支障をきたすことが多くなった。明治33年(1900年)8月23日、脳出血で死去した。葬儀委員長は榎本武揚であった。
薩摩閥の重鎮とはいえ、醜聞と疑獄事件で晩年は浮いた存在となり、同郷の人々は離れていった。代わって旧幕臣との付き合いが濃密となり、特に外交分野などでは榎本武揚を重用するようになった。黒田の死に際し榎本が葬儀委員長を務めたのも、薩摩の人々が黒田を敬遠したためと見られる。
参考文献
井黒弥太郎『黒田清隆』、吉川弘文館、1977年。
夜会の果て 水曜ドラマ (NHK)(演:江守徹)
発足したばかりの当時の内閣は閣議を開催する場所すらなく、各大臣が交替で自宅の一室を提供し、そこへ全大臣が集まり閣議を開いていた、といった史実に基づいた演出がされている。
関連項目
黒田内閣
鹿児島県出身の人物一覧
歴代内閣総理大臣
第1代
伊藤博文第2代
1888年 - 1889年第3代
山縣有朋
伊藤博文
K田清隆
山縣有朋
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桂太郎
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山本權兵衞
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岡田啓介
廣田弘毅
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福田康夫
麻生太郎
先代:
-
東久世通禧樺太専務
開拓使(北海道)長官
初代:1870 - 1871
第3代:1874 - 1882次代:
廃止
西郷従道
先代:
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第3代:1887年 - 1888年次代:
榎本武揚
先代:
後藤象二郎逓信大臣
第3代:1892年 - 1895年次代:
渡辺国武
表・話・編・歴元老
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