黒柳徹子
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マルチタレントとして

NHK放送劇団文学座研究所を経て女優デビュー。テレビ誕生とともに生まれた日本初のテレビタレントでもある。五十年以上にわたりテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けている唯一のタレントである。放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を…」、「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」云々失言を繰り返したのにも関わらず合格出来たという。

以降声優として、女優として、司会者として現在もなおテレビで活躍するほか、毎年舞台に立ち続けている。また「窓ぎわのトットちゃん」などの著作もある。


社会貢献活動・福祉活動

芸能活動以外にも、国際連合傘下のUNICEF(ユニセフ、国際連合児童基金)親善大使としての活動が特に知られる。親善大使には1984年就任し、現在最古参のメンバーである。

その他、社会福祉法人「トット基金」理事長、社会福祉法人「あゆみの箱」理事、日本ペンクラブ会員、世界自然保護基金ジャパン顧問、ちひろ美術館館長、東京フィルハーモニー交響楽団副理事長、日本チャップリン協会名誉会長、日本パンダ保護協会名誉会長、としても活躍している。ポーランド政府からコルチャック賞を贈られた。

また、これらの関係から大阪のジェネリック医薬品メーカー・東和薬品のTVCMが制作される際にCMイメージキャラクターに抜擢され、現在もなお継続して出演している。


エピソード


若手時代

文学座研究生の出身だが、正座員には、宮口精二の反対で採用されなかった。

本人の談によると、NHKの試験放送で顔の左右を青白に塗り分けて撮影されたという。当時実験段階であったカラー放送の試験撮影のためであり、その様子は斉藤由貴主演の映画『トットチャンネル』(1987年)でも再現された。


交友関係

劇作家・飯沢匡を師と慕い、飯沢没後も飯沢のことを話す際には必ず先生付けで話している。

歌手の三浦洸一は東洋音楽学校(現・東京音楽大学)の同級生。

元NHKアナウンサーで女優の野際陽子とは、NHK専属女優時代からの40年来の友人。

直木賞作家向田邦子とも親交が深かったことで知られる。

1980年代までは黒柳が司会を担当していた『ザ・ベストテン』(TBS系)と並ぶ音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の芳村真理とは犬猿の仲では、と伝えられていたが、実際はこの2人もまた、1960年代頃からの40年来の親友に当たる。黒柳・芳村のほかに、うつみ宮土理楠田枝里子を加えた4氏については、一部のテレビフリークからは日本テレビ放送史上最高の「女司会者四天王」とも評されているが、相互に親交があり、ライバル視など全くしていない。

むしろ、世代は大きく異なるが犬猿の関係とされているのは釈由美子。黒柳は釈がレギュラー出演していた『わらいのじかん』の中で『釈子の部屋』なるパロディを演じていたことに立腹したらしく、実際、その後、釈はテレ朝の連続ドラマに多く主演しているのにもかかわらず、『徹子の部屋』には1度も出演していない。

女優・柴本幸とは、文通しあう間柄で柴本が幼い頃から手紙のやり取りをしている。


渥美清との関係

NHK『夢であいましょう』で共演した渥美清と関係が深い。

共演当時、熱愛疑惑が持ち上がったことがある(本人談)。

渥美は1979年1月3日の『徹子の部屋』にゲスト出演している。これが最初で最後だが黒柳はその後何度も渥美に出演を依頼したものの渥美は何度も拒否していたという。

渥美の死去が公表されたのは黒柳自身の誕生日である8月9日

映画『男はつらいよ』最終作のマドンナ役に選ばれる予定だった。

第47作では山田洋次に撮影現場を見に来てくれと言われて訪問している(BSスペシャル 渥美清の寅さん勤続25年より)。

1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」に出席。渥美の特集番組「渥美清の伝言」、「渥美清の肖像?知られざる役者人生」にも出演。

プライベートでも仲が良く、普段は「お兄ちゃん」と呼んでいたが、そんな黒柳でさえ渥美の自宅や連絡先を知らず、渥美の家族にも「お別れの会」で初めて会ったと言う。(生前の渥美はプライバシー秘匿を徹底していたため)


タモリとの関係

タモリとの関係も深く、黒柳はタモリの知名度を上げるきっかけを作った人物の一人でもある。

1984年3月14日放送のフジテレビ笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演した際に、43分間しゃべり続けるという伝説を残した。そのため放送時間が無くなり、「テレフォンショッキング」の後に予定されていたレギュラーコーナー二つのうち一つを潰さなければならなくなり、双方の司会担当者がじゃんけんをして、潰す方を決めた。時は経ち2005年12月16日に21年ぶりに登場し、またも放送時間内で39分間しゃべり続けた。

「テレフォンショッキング」での出来事のためか1998年までフジテレビの番組には殆ど出演せず、それ以降も5回程度しかフジテレビに出ていない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki