磁山文化(紀元前6000年??紀元前5000年?)の代表遺跡は河北省武安県磁山。円形・楕円形の竪穴式住居に暮らし、粟作などの畑作農業が行われていた。紅褐色の夾砂陶を特色とする[4]。
仰韶文化(紀元前4800年??紀元前2500年?)は1921年、河南省仰韶村で発見された彩陶(赤地に彩色した土器)を特色とする文化。
前期(紀元前4800年ころ)は紅陶が主流で、代表遺跡は陝西省西安市半坡、仰韶半坡類型文化と称されている。母系制で、農村の階層化がみられる。前4000年頃にろくろの使用が見られる仰韶廟底溝類型文化が現れた。
後期(紀元前3500年以降)は、半坡後期類型・西王村類型・大司空類型・秦王塞類型の四種の文化に大別され、このころには貧富の差がみられ、社会の分業・階層化が進んだ。
後岡文化(紀元前5000年??紀元前4000年?)の代表遺跡は河南省安陽市後岡。北辛文化を継承して発展した。
大?口文化(紀元前4300年??紀元前2400年?)は1959年、山東省寧陽県堡頭村で遺跡がはじめて発見された。のちに山東省泰安市大?口でも遺跡が発見されて、こちらが代表遺跡となった。
前期は紅陶が主流だったが、後期には黒陶・灰陶が主流となった。後期の卵殻黒陶の高柄杯は、精巧で美しく、山東龍山文化に受け継がれた[5]。
龍山文化(紀元前2500年??紀元前2000年?)は中国中央研究院歴史語言研究所によって1930年、山東省章丘県龍山鎮で発見された黒陶(黒色土器)や灰陶を特色とする文化。黒陶は薄手で精巧に作られた黒色の土器で、製作にはロクロが使用されていた。焼成温度は約1000度以上。
後期には銅器の鋳造もおこなっていた。中原龍山文化(陝西龍山文化・晋南予西龍山文化・河南龍山文化)と山東龍山文化とに分かれる。
中原龍山文化は仰韶後期文化を継承し、灰陶が主流。骨を灼いてひび割れを見る占卜もこのころ始まったとされている。山東龍山文化は大?口文化を継承しており、黒陶が主流[6]。
二里頭文化(紀元前2000年??紀元前1600年?)は1959年、河南省偃師市二里頭で発見された。
遺跡は約二キロ四方で、中心部には二つの宮殿跡がある。この遺跡の人々は、晋南予西龍山文化・河南龍山文化を継承し、青銅鋳造の技術を持っていたと考えられている[7]。
脚注^ ⇒考古用語辞典-裴李崗文化
^ ⇒考古用語辞典-老官台文化
^ ⇒考古用語辞典-北辛遺跡
^ ⇒考古用語辞典-磁山文化
^ ⇒考古用語辞典-大?口文化
^ ⇒考古用語辞典-陝西龍山文化
^ ⇒考古用語辞書-二里頭文化
関連項目ウィキブックスに ⇒黄河文明関連の教科書や解説書があります。
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カテゴリ: 先史中国 | 東洋文化 | 考古学 | 文明
更新日時:2008年8月15日(金)04:23
取得日時:2008/10/08 09:49