地名の由来
鴻巣の地名は古来からのもので、この地のほかに茨城県や栃木県、福岡県にも同様の地名が存在する。古来からの地名ゆえその由来は不明だが幾つかの仮説が存在する。
高台の砂地を「コウ(高)のス(洲)」と言い換えて、その言葉が由来となったと言う説があり、これは大宮台地上に位置する古来からの鴻巣郷(現在の鴻巣市南部から桶川市北東部にかけての地域)および他地域の同一地名の地域の地形的特徴と合致する。
日本書紀に出てくる武蔵国造の乱で鴻巣郷に隣接する埼玉郡笠原郷を拠点としたとされる笠原直使主(かさはらのあたいのおみ)が朝廷から武蔵国造を任命され、一時この地が武蔵の国の国府が置かれたところ「国府の州」が「こうのす」と転じ、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったとする伝承もある。
変遷
古代から近世までの鴻巣市域は主に武蔵国足立郡に属し、一部の地域は埼玉郡、大里郡に属していた。日本書紀によると534年、安閑天皇より笠原直使主が武蔵国国造を任命され、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原付近)に拠点を持ったとされる。笠原から元荒川の上流10キロほど離れた埼玉郡埼玉(現在の行田市埼玉)にある埼玉古墳群は同時代の古墳であり、何の基盤の無い当地に突如として、関西地方に匹敵する中型前方後円墳が現れた事、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に彫られたヲワケの父の名のカサヒヨがカサハラと読める事から、笠原を本拠としたといわれる武蔵国国造の笠原氏の古墳ではないかという説がある。また、元荒川を挟んで笠原地区と正対する地域に生出塚古墳群が展開しており、生出塚、新屋敷、両支群の発掘調査により95基の古墳が確認され、未発見の古墳跡を含めると100基を越す元荒川右岸最大の古墳群と想定される。
1591年(天正19年)より徳川家康の鴻巣での鷹狩りが頻繁に行われるようになり、1593年(文禄2年)には鴻巣砦跡に鴻巣御殿が築造された。
1602年(慶長7年)に宿駅整備に伴い、中山道の宿場・鴻巣宿がこの地(市宿新田)に移転したのち宿場町となった。なお、元の鴻巣宿は移設後、本(元)鴻巣を称し、本(元)宿→北本宿→北本と変化して、現在は北本市となっている。
1889年(明治22年)4月1日 - 鴻巣宿・上生出塚村・下生出塚村が合併し、鴻巣町となる。
1954年(昭和29年)7月1日 - 北足立郡鴻巣町・箕田村・田間宮村・馬室村・北埼玉郡笠原村の1町4村が合併し、鴻巣町となる。
1954年(昭和29年)9月30日 - 北足立郡常光村を編入して市制施行、鴻巣市となる。
2005年(平成17年)10月1日 - 北足立郡吹上町・ 北埼玉郡川里町を編入する。これにより、約8.4万人だった人口が約12万人となる。
鴻巣市と全国の年齢別人口分布図(比較)鴻巣市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は鴻巣市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
1980年86,854人
1985年92,971人
1990年107,124人
1995年116,421人
2000年120,271人
2005年119,594人
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)
3役
市長:原口和久(2002年8月1日?、現在2期目)
副市長:清水岩夫
歴代市長
栗原光次
飯山芳太郎
野崎源三郎
岡部一陽彦
島田博
佐藤輝彦( - 2002年7月31日)
原口和久(2002年8月1日 - )全国青年市長会会員
市議会議員
議長:石井忠良(2007年5月?) 他30名
主な市の施設
鴻巣市役所(中央)
吹上支所(吹上富士見1丁目)
川里支所(広田)
鴻巣駅連絡所(本町1丁目)
北本駅連絡所(市外、北本市中央2丁目)
鴻巣市上下水道庁舎(南1丁目)
鴻巣市文化センター(クレアこうのす、中央)
鴻巣中央図書館(本町3丁目)
吹上図書館(吹上富士見1丁目)
川里図書館(関新田)
総合体育館(鴻巣)
コスモスアリーナふきあげ(明用)
吹上総合運動場(明用)
陸上競技場(鴻巣)
市民プール(上谷)(2007年度よりオープンせず)
上谷総合運動公園(上谷)
市民センター(赤見台1丁目)
総合福祉センター(箕田)
川里農業研修センター(関新田)
中央公民館・鴻巣児童センター(本町3丁目)
箕田公民館・箕田児童センター(稲荷町)
常光公民館・常光児童センター(下谷)
あたご公民館・あたご児童センター(原馬室)
笠原公民館・笠原児童センター(笠原)
吹上公民館(吹上富士見1丁目)
田間宮生涯学習センター(登戸)
※カッコ内は鴻巣市に続く町名(市外のものを除く)