小さい頃から絵を描くことが好きな子供であった。子供の頃通っていた絵の教室で『101匹わんちゃん大行進』の絵を描いて表彰された事で絵を描く事に自信を持ったという[2]。小学校の写生コンクールでは何度か賞を貰い、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している[3]。担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが、両親共にのんびり屋の性格で、夕食を食べる金がないからと代わりに2人でワルツを踊るような人であった。そして子供時代の鳥山は、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたという[4]。
幼少時は漫画やアニメに熱中したという鳥山だが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移りマンガをほとんど読む機会が無くなっていた[5][6]。しかし絵を描く事は好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校デザイン科を1974年に卒業した後にデザイン会社に就職、ここでチラシなどを作っていたが、結局サラリーマン生活に嫌気が差し2年半ほどで退職した[7]。
退職後は気ままな生活を送っていたため金銭的に困る事になるが、たまたま手に取った『週刊少年マガジン』で新人賞への応募作品を募集している記事を見つける。賞を取れば賞金50万円が手に入ることを知り、賞金のために23歳にして初めて本格的に漫画を描き始めた。結局『週刊少年マガジン』の新人賞の締め切りには間に合わず、毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』へ作品を投稿するようになった[8]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いていたという[9]。
当時の鳥山の作品は新人賞には及ばないものであったものの[10]、鳥嶋和彦は鳥山が作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットで描いていることや、色々なものを色々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれている事にセンスを感じ[9]「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをした[11]。そして鳥山は厳しくボツ(不採用)を出す鳥嶋の元で懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年間に500ページにも及んだ[12]。
その2年後の1978年に読み切り作品『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されデビューを飾ったが、アンケート結果は最下位であり[13]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も芳しいものではなかった。鳥嶋に促され描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品であったが評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった(この時期に描かれた作品は主に『鳥山明○作劇場』に収録されている)。
1980年開始の初連載作品『Dr.スランプ』はいわゆる「博士物」であり、鳥山は当初は自称天才科学者、則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた[14]。これが効を奏し、『Dr.スランプ』は当初より人気作となった。1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化もされ、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメの平均視聴率で3位[15]の大ヒットアニメとなった。
『Dr.スランプ』連載1年目は、3日に1回しか寝られなかった[16]、最高連続徹夜6日を記録した[17]、ペン入れの記憶がない回があるなど[18]と、多忙を極めた。連載は5年程度続き、単行本は全18巻。本人がネタが不足してきたということで1984年に終了させた[19]。
1984年、『Dr.スランプ』終了後すぐに『ドラゴンボール』の連載を開始。主人公・孫悟空の冒険譚として始まった作品で、当初はアンケートでも大きな反響は無く、人気は低迷していたが[20]、次々登場する強敵と戦うことを中心とした物語となることで人気を獲得。1995年まで11年もの間連載が続き、親子2代の壮大なスケールの作品が描かれることになった。1986年から1997年まで3つのテレビアニメシリーズが制作され、第2シリーズ『ドラゴンボールZ』は6年間の放送で平均視聴率20%を超えている[21]。アニメに関しては『Dr.スランプ アラレちゃん』から『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』(『Dr.スランプ - 』のリメイク)と、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は鳥山原作のアニメが放映されていたことになる。
長期連載でかなり大変な思いをしたことが元で、『ドラゴンボール』終了以降、漫画は『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌で読み切り、もしくは短期集中連載作品を描く程度である。またその一方自動車のデザイン等も手がけている。
『ドラゴンボール』終了以降に描いた主な作品は『COWA!』、『カジカ』、『SAND LAND』(いずれも『週刊少年ジャンプ』で短期集中連載として掲載された)、『ネコマジン』(短編)、『天使のトッチオ』(絵本)など。その中でも『SAND LAND』と『ネコマジン』は人気を得、『SAND LAND』は北米、ドイツ、フランスそのほかの地域でも多数翻訳出版され、『ネコマジン』もシリーズ化した。
漫画作品ではあまりタッチをつけない均一な線が用いられており、スクリーントーンはあまり使われない。鳥山は自身を非常に面倒くさがりだとしており、トーンを使わないのも、切ったり貼ったりするのが面倒だから、自分に合わないという理由からである。本人曰く、「トーンを切り貼りする作業は漫画を描く作業ではない」とのこと[22]。ただしトーンが嫌いな訳ではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともある[23]。
また漫画ではネームを描かずにいきなり下描きから始めるという製作方法を取っている。