その2年後の1978年に読み切り作品『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されデビューを飾ったが、デビュー作のアンケート結果は最下位であり[13]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も芳しいものではなかった。鳥嶋に促され描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品であったが評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった(この時期に描かれた作品は主に『鳥山明○作劇場』に収録されている)。
1980年開始の初連載作品『Dr.スランプ』はいわゆる「博士物」であり、鳥山は当初は天才科学者則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた[14]。これが効を奏し、初の連載作『Dr.スランプ』は当初より人気作となった。1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化もされ、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメの平均視聴率で3位[要出典]の大ヒットアニメとなった。
『Dr.スランプ』連載一年目は、3日に一回しか寝られなかった[15]、最高連続徹夜6日を記録した、ペン入れの記憶がない回があるなど[16]と、多忙を極めた。連載は5年程度続き、単行本は全18巻。本人がネタが不足してきたということで1984年に終了させた[17]。
1984年、『Dr.スランプ』終了後すぐに『ドラゴンボール』の連載を開始。主人公・孫悟空の冒険譚として始まった作品で、当初はアンケートでも大きな反響は無く、人気は低迷していたが[18]、徐々に地球を守るバトルを中心とした物語となることで人気を獲得。1995年まで11年もの間連載が続き、親子2代の壮大なスケールの作品が描かれることになった。1986年から1997年まで3つのテレビアニメシリーズが制作され、第2シリーズ『ドラゴンボールZ』は6年間の放送で平均視聴率20%を超えている[19]。アニメに関しては『Dr.スランプ アラレちゃん』から『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』(『Dr.スランプ - 』のリメイク)と、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は鳥山原作のアニメが放映されていたことになる。
長期連載でかなり大変な思いをしたことが元で、『ドラゴンボール』終了以降、漫画は『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌で読み切り、もしくは短期集中連載作品を描く程度である。現在も多忙ではあるが、それは専らゲームのキャラクターデザインや原作者としての著作権管理などの仕事による[要出典]、例外として自動車のデザイン等が挙げられる。
『ドラゴンボール』終了以降に描いた主な作品は『COWA!』、『カジカ』、『SAND LAND』(いずれも『週刊少年ジャンプ』で短期集中連載として掲載された)、『ネコマジン』(短編)、『天使のトッチオ』(絵本)など。その中でも『SAND LAND』と『ネコマジン』は人気を得、『SAND LAND』は北米、ドイツ、フランスそのほかの地域でも多数翻訳出版され、『ネコマジン』もシリーズ化した。
漫画作品ではあまりタッチをつけない均一な線が用いられており、スクリーントーンはあまり使われない。鳥山は自身を非常に面倒くさがりだとしており、トーンを使わないのも、切ったり貼ったりするのが面倒だから、自分に合わないという理由からである。本人曰く、「スクリーントーンを切り貼りする作業は漫画を描く作業ではない」とのこと[20]。ただしスクリーントーンが嫌いな訳ではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともある[21]。また漫画ではネームを描かずにいきなり下描きから始めるという製作方法を取っている。これも「3度も描くのが面倒」だと、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる[22]。
他に「面倒くさがり」を表すエピソードとして、『Dr.スランプ』では背景を描くのが面倒で村を舞台にし、「雨を描くのが煩雑」といって漫画家の妻と結婚するまで作中で雨を降らせなかった[要出典]、『ドラゴンボール』では、超サイヤ人は髪をベタ塗りせずにすむので時間短縮になる、フリーザの最終形態も簡易にすることで作画の手間をはぶかせた、描くのに時間がかかる市街地などの背景はすぐに爆破(移動)させたい、などがある[23]。
描かれる作品には、動物が人間の言葉を操り普通に人間社会に溶け込んでいたり、様々なメカニックなどが登場する。サブキャラクターに動物や異星人が多いのは、実は普通の人間だけでは顔を描き分けるのが大変なので、動物や異星人・ロボットを描く方が楽だからとのこと[要出典]。また、メカニックは『スター・ウォーズ』他、数多く見て来たSF映画からの影響が強く、物語の本筋以上にメカを描いているのが楽しいという[21]。
『ドラゴンボール』の連載終了後はMacを使いはじめ、『ドラゴンボール』以降の作品は制作過程でMacを用いたものがかなりの割合を占めており、Macが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていたとも[24]。Macを用いられて作られた作品例として、漫画では『カジカ』、『ネコマジン』、ゲームでは『ドラゴンクエストVIII空と海と大地と呪われし姫君』、『BLUE DRAGON』等が挙げられる。
『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクター・モンスターデザインでは、堀井雄二の描いたラフ絵を元にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように(堀井のラフ絵では、スライムはドロドロの液体状のモンスターで、目も口もない)自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。
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マスコミなどへの露出を好まず[25]、インタビュー記事や本人の写真がマスコミに掲載されるケースは稀である。理由は単に小さな町なので顔がばれるのが嫌だったかららしい[26]。当該写真も顔にガスマスクが合成されている。
ただかつては『徹子の部屋』に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』に荒木飛呂彦と共に登場したりしていた[27]。