馬英九
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総統当選

2008年3月22日、総統選挙において、756万8724票(58.45%)を獲得して当選。対立候補の謝長廷は544万5239票(41.55%)にとどまった。


政治路線

1990年代前半、総統選挙を直接選挙にするか委任選出にするかで国民党内で議論となったとき、一貫して「委任選出制」を主張し、直接選挙制に反対した。また、同じ時期、言論・思想の自由を弾圧する法的根拠になっていた「刑法第100条廃止」を民主化勢力が突きつけた際にも、国民党内のライバルだった宋楚瑜らが廃止に前向きな姿勢を見せたのに対して、馬英九は強硬に反対した。2006年末には米国誌のインタビューで「終極的統一を目指す」と発言して、台湾社会で物議をかもした。米国留学時代にも職業学生として民主化運動勢力の監視を行ってきたこともあいまって、きわめて保守的な思想をもつ人物だと見られてきた。

もっとも、近年はその保守的な思想に変化が見られる。たとえば、国民党独裁政権下で行われた弾圧事件(228事件白色テロ)について、台北市長に就任以来、毎年228事件の追悼式に参加している。

総統候補に決まってからは、「ロングステイ」と銘打って台湾各地の農村などをホームステイに訪れて回り、直接台湾の民情に接してからは、さらに考え方を柔軟化させている。

総統選挙期間中にも、台湾語客家語を積極的に使用して、「香港生まれの外省人で、保守派」という背景に対して抱いている有権者の疑念を解消することに成功した。


中国政策

背景やキャリアから、伝統的な中国国民党の大中国としての統一を目指すが、共産党とは対立するという「反共主義」の路線をとってきた。

そのため中華人民共和国との関係についても、天安門事件の記念行事や法輪功支援に積極的な姿勢を見せるなど、中国共産党当局とは一定の距離を置いた。その一方では「終極的統一論」を主張するとともに、台湾独立論を批判し、保守的な姿勢を明確にしている。

ところがそれが「台湾主体意識」が強まる世論から批判を受けると、総統選挙に不利になることを懸念して、今度は「三不」(統一も独立も武力行使もしない)を打ち出すなど、主張にブレが目立つようになっている。

総統選挙に向けて経済政策重視を打ち出し、中国との間で、欧州連合加盟国同士並みに関税、資金、労働力の自由流通を目指す「両岸共同市場」を提唱した。しかし、世論から「あまりにもナイーブで台湾を事実上統一させる暴挙」と批判されており、一時、支持率が頭打ちの原因となった。そのため「共同市場」ではなく、「両岸対等、共同協議、市場拡大」の意味だと政策の修正を行った。

また、台湾社会で強まる台湾主体意識に配慮して、党綱領から「統一」の文字を削除して「台湾」の文字を新しく盛り込んだり ⇒[3]、党規約に「台湾中心」を明記する ⇒[4]など、2005年の連戦訪中で強まった国民党の親中イメージの払拭に力を入れた。

また、2008年3月18日チベットで発生した大規模暴動について中国当局を批判し、自らが総統に当選した際には北京オリンピックをボイコットする可能性を示唆した。ただこれには「選挙向けのパフォーマンス」という見方がある。


日本に対する態度

学生時代からの「釣魚島(尖閣諸島)奪還」を叫ぶ反日活動を続け、米国留学時代の研究テーマも「釣魚島」の中華民国帰属を立証するものだった。そうした姿勢は国民党主席になるまで続いた。

2002年1月、台北市などの風俗スポットを紹介したガイドブック「極楽台湾」に対して馬英九が交流協会に抗議、また買春目的容疑で日本人を逮捕したりした( ⇒[5][6])。これが在台日本人社会から批判を招いた。

2005年6月の党主席選挙の過程で「釣魚島の奪回のために日本とは一戦を交えることもいとわない「戦う姿勢を見せて日本を対話のテーブルにつかせるべきだ」(2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動 参照)。

2005年8月、党主席就任後には「南京大虐殺や尖閣諸島での日本の言動は、大陸、台湾双方の人々の心を逆なでする」「国民党は将来、尖閣諸島の問題解決に注力する。私は尖閣諸島についての専門的知識を持っている」 ( ⇒[7])。

2005年9月にも反日運動で有名な外省人立法委員・高金素梅が「日本が台湾原住民を強制的に高砂義勇隊に参加させるなど原住民を迫害した」として、ニューヨークの国連本部での反日抗議活動のため台湾を出発する際、見送りに訪れ、3000米ドルの寄付を行った。( ⇒[8])。

2006年秋には国民党本部ビルに「抗日戦争勝利60周年記念」の垂れ幕を掲げた。

2006年4月、士林にある「学務官僚遭難之碑」を問題視した。

2006年7月の訪日時にもそうした反日姿勢を日本側の議員や記者から指摘、批難されたこともある。

しかし、親日傾向が強まっている台湾で、総統候補になってからは、従来の強い反日姿勢を少なくとも表面的には軟化させつつある。たとえば、南京大虐殺問題・釣魚島(尖閣諸島)問題などの歴史問題については「許せるが、歴史は忘れない」というにとどめている。

さらに、総統候補として日本を訪問した2007年11月21日、同志社大学での講演では「19世紀、20世紀の亡霊はもう過去のことだ」「過去は白と黒以外にグレーもある」などと述べたり、日本統治時代に台湾南部の灌漑に尽力した八田與一を絶賛したりして、日台関係を強化する必要を強調した。

また、2006年には一度否定的な意見を述べた日米安保条約も支持すると立場を転換させた( ⇒[9])。

しかし日本の政界、マスコミの中には、その真意を疑う声は根強く、「反日派」疑惑の払拭に至っていない( ⇒[10][11][12])。


関連項目ウィキメディア・コモンズには、 ⇒馬英九 に関連するマルチメディアがあります。

陳水扁

謝長廷

蒋経国

中国国民党

中華思想

大漢民族主義

中華帝国主義

先代:
呂有文法務部長
1993年2月7日?1996年6月10日次代:
廖正豪

先代:
陳水扁台北市長
1998年12月25日-2006年12月24日次代:
?龍斌

先代:
連戦国民党主席


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen