学生時代からの「釣魚島(尖閣諸島)奪還」を叫ぶ反日活動を続け、米国留学時代の研究テーマも「釣魚島」の中華民国帰属を立証するものだった。そうした姿勢は国民党主席になるまで続いた。
2002年1月、台北市などの風俗スポットを紹介したガイドブック「極楽台湾」に対して馬英九が交流協会に抗議、また買春目的容疑で日本人を逮捕したりした( ⇒[5] ⇒[6])。これが在台日本人社会から批判を招いた。
2005年6月の党主席選挙の過程で「釣魚島の奪回のために日本とは一戦を交えることもいとわない「戦う姿勢を見せて日本を対話のテーブルにつかせるべきだ」(2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動 参照)。
2005年8月、党主席就任後には「南京大虐殺や尖閣諸島での日本の言動は、大陸、台湾双方の人々の心を逆なでする」「国民党は将来、尖閣諸島の問題解決に注力する。私は尖閣諸島についての専門的知識を持っている」 ( ⇒[7])。
2005年9月にも反日運動で有名な外省人立法委員・高金素梅が「日本が台湾原住民を強制的に高砂義勇隊に参加させるなど原住民を迫害した」として、ニューヨークの国連本部での反日抗議活動のため台湾を出発する際、見送りに訪れ、3000米ドルの寄付を行った。( ⇒[8])。
2006年秋には国民党本部ビルに「抗日戦争勝利60周年記念」の垂れ幕を掲げた。
2006年4月、士林にある「学務官僚遭難之碑」を問題視した。
2006年7月の訪日時にもそうした反日姿勢を日本側の議員や記者から指摘、批難されたこともある。
しかし、親日傾向が強まっている台湾で、総統候補になってからは、従来の強い反日姿勢を少なくとも表面的には軟化させつつある。たとえば、南京大虐殺問題・釣魚島(尖閣諸島)問題などの歴史問題については「許せるが、歴史は忘れない」というにとどめている。
さらに、総統候補として日本を訪問した2007年11月21日、同志社大学での講演では「19世紀、20世紀の亡霊はもう過去のことだ」「過去は白と黒以外にグレーもある」などと述べたり、日本統治時代に台湾南部の灌漑に尽力した八田與一を絶賛したりして、日台関係を強化する必要を強調した。
また、2006年には一度否定的な意見を述べた日米安保条約も支持すると立場を転換させた( ⇒[9])。
しかし日本の政界、マスコミの中には、その真意を疑う声は根強く、「反日派」疑惑の払拭に至っていない( ⇒[10] ⇒[11] ⇒[12])。
関連項目ウィキメディア・コモンズには、 ⇒馬英九 に関連するマルチメディアがあります。
陳水扁
謝長廷
蒋経国
中国国民党
中華思想
大漢民族主義
中華帝国主義
先代:
呂有文法務部長
1993年2月7日?1996年6月10日次代:
廖正豪
先代:
陳水扁台北市長
1998年12月25日-2006年12月24日次代:
?龍斌
先代:
連戦国民党主席
2005年8月19日-2007年2月13日次代:
呉伯雄(代理)
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更新日時:2008年3月27日(木)16:32
取得日時:2008/05/14 07:32