2006年12月任期満了で辞任した台北市長時代(2期8年)の実績は、下水道整備の普及(40%→82%)、スポーツ施設整備などが挙げられる。しかし、民進党系シンクタンクの台湾智庫が2008年2月に実施した意識調査によると、馬英九8年市政の中で、「最も印象に残った実績」は「知らない」が46.3%、「あまり印象に残るものはない」が27.2%と、合わせて73.5%もの高率に達した( ⇒[2])。
その半面、鳴り物入りで建設されて退任後に開通した「猫空ロープウェイ」は開通当初から事故続きで、台北市の調査でも満足度は14%となっている。
また台北市全域の無線LANの整備も、信号が不安定という指摘が市民からあがっている。
数十億元を使って伝統的な市場や夜市の改修を行うとしてきたが、建成圓環、西門市場、民福市場などは衰退が指摘されている。
文化財保護事業も、士林官邸、七海官邸、孫運?旧邸、李国鼎旧邸、嚴家淦旧邸、錢穆旧邸などかつての国民党政権元老の私邸の保存に積極的な姿勢をとる一方で、台湾の歴史や日本時代を象徴する中山橋、太古巣遺址,臨済寺参道などは取り壊している。
2001年、台風11号(ナーリー台風)に伴う豪雨では、市内各地での冠水状態を黙過する一方、台北市職員を臨時招集せず、対策が後手に回ったことから、死者も出した。この教訓は生かされず、2003年のSARS禍でも、市立和平病院での院内感染拡大を放置し、同病院職員および市民に多数の死者や感染者を出すに至った。
2007年2月13日、台北市長時代の首長特別支出費の一部支出について横領容疑で起訴された。ただし一審の台北地裁(同年8月17日)では「特別費は、宋代の公使銭を淵源とし、給与の補填であり、私的に流用しても良い」として無罪判決、さらに同年12月28日、二審の台湾高裁でも同様の理由で無罪判決がそれぞれ下された。また、2008年1月3日、馬英九は二審までの無罪判決を受けて起訴した検察官を告訴した。
特別費横領事件は現在最高裁で審理中。
特別費横領容疑で起訴された2007年2月13日、総統選挙への出馬意思を表明。
2007年5月2日、国民党中央常務委員会で総統候補として指名内定。
2007年6月23日、国民党大会で正式に総統候補として承認され、副総統候補に蕭萬長を指名する。
2008年1月12日、立法委員選挙で馬英九が属する国民党が圧勝、その直後の世論調査で総統選挙に向けた支持率が上昇した。
しかし2008年1月27日に総統選挙の候補登録を済ませた翌日以降、対抗馬で民進党候補・謝長廷陣営や一部メディアなどから、1977年に取得したグリーンカードの所持疑惑、馬英九の実姉たちの政治献金不当授受疑惑、暴力団との結託疑惑などが指摘され、対立候補である謝長廷に支持率を猛追されているという報道がなされた。
2008年3月22日、総統選挙において、756万8724票(58.45%)を獲得して当選。対立候補の謝長廷は544万5239票(41.55%)にとどまった。
1990年代前半、総統選挙を直接選挙にするか委任選出にするかで国民党内で議論となったとき、一貫して「委任選出制」を主張し、直接選挙制に反対した。また、同じ時期、言論・思想の自由を弾圧する法的根拠になっていた「刑法第100条廃止」を民主化勢力が突きつけた際にも、国民党内のライバルだった宋楚瑜らが廃止に前向きな姿勢を見せたのに対して、馬英九は強硬に反対した。2006年末には米国誌のインタビューで「終極的統一を目指す」と発言して、台湾社会で物議をかもした。米国留学時代にも職業学生として民主化運動勢力の監視を行ってきたこともあいまって、きわめて保守的な思想をもつ人物だと見られてきた。
もっとも、近年はその保守的な思想に変化が見られる。たとえば、国民党独裁政権下で行われた弾圧事件(228事件や白色テロ)について、台北市長に就任以来、毎年228事件の追悼式に参加している。
総統候補に決まってからは、「ロングステイ」と銘打って台湾各地の農村などをホームステイに訪れて回り、直接台湾の民情に接してからは、さらに考え方を柔軟化させている。
総統選挙期間中にも、台湾語や客家語を積極的に使用して、「香港生まれの外省人で、保守派」という背景に対して抱いている有権者の疑念を解消することに成功した。
背景やキャリアから、伝統的な中国国民党の大中国としての統一を目指すが、共産党とは対立するという「反共主義」の路線をとってきた。
そのため中華人民共和国との関係についても、天安門事件の記念行事や法輪功支援に積極的な姿勢を見せるなど、中国共産党当局とは一定の距離を置いた。その一方では「終極的統一論」を主張するとともに、台湾独立論を批判し、保守的な姿勢を明確にしている。
ところがそれが「台湾主体意識」が強まる世論から批判を受けると、総統選挙に不利になることを懸念して、今度は「三不」(統一も独立も武力行使もしない)を打ち出すなど、主張にブレが目立つようになっている。
総統選挙に向けて経済政策重視を打ち出し、中国との間で、欧州連合加盟国同士並みに関税、資金、労働力の自由流通を目指す「両岸共同市場」を提唱した。しかし、世論から「あまりにもナイーブで台湾を事実上統一させる暴挙」と批判されており、一時、支持率が頭打ちの原因となった。そのため「共同市場」ではなく、「両岸対等、共同協議、市場拡大」の意味だと政策の修正を行った。
また、台湾社会で強まる台湾主体意識に配慮して、党綱領から「統一」の文字を削除して「台湾」の文字を新しく盛り込んだり ⇒[3]、党規約に「台湾中心」を明記する ⇒[4]など、2005年の連戦訪中で強まった国民党の親中イメージの払拭に力を入れた。
また、2008年3月18日、チベットで発生した大規模暴動について中国当局を批判し、自らが総統に当選した際には北京オリンピックをボイコットする可能性を示唆した。ただこれには「選挙向けのパフォーマンス」という見方がある。
学生時代からの「釣魚島(尖閣諸島)奪還」を叫ぶ反日活動を続け、米国留学時代の研究テーマも「釣魚島」の中華民国帰属を立証するものだった。そうした姿勢は国民党主席になるまで続いた。
2002年1月、台北市などの風俗スポットを紹介したガイドブック「極楽台湾」に対して馬英九が交流協会に抗議、また買春目的容疑で日本人を逮捕したりした( ⇒[5] ⇒[6])。これが在台日本人社会から批判を招いた。
2005年6月の党主席選挙の過程で「釣魚島の奪回のために日本とは一戦を交えることもいとわない「戦う姿勢を見せて日本を対話のテーブルにつかせるべきだ」(2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動 参照)。
2005年8月、党主席就任後には「南京大虐殺や尖閣諸島での日本の言動は、大陸、台湾双方の人々の心を逆なでする」「国民党は将来、尖閣諸島の問題解決に注力する。私は尖閣諸島についての専門的知識を持っている」 ( ⇒[7])。
2005年9月にも反日運動で有名な外省人立法委員・高金素梅が「日本が台湾原住民を強制的に高砂義勇隊に参加させるなど原住民を迫害した」として、ニューヨークの国連本部での反日抗議活動のため台湾を出発する際、見送りに訪れ、3000米ドルの寄付を行った。( ⇒[8])。
2006年秋には国民党本部ビルに「抗日戦争勝利60周年記念」の垂れ幕を掲げた。
2006年4月、士林にある「学務官僚遭難之碑」を問題視した。