馬英九
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出生と米国留学

馬英九の祖籍は中国湖南省湘潭県馬家堰であり、香港九龍で出生した。(広東省深?との資料もある)[1]。 五人兄弟姉妹の中で唯一の男児として育てられた。

1950年、両親とともに台湾に移住し、台北市で育つ。建国中学及び台湾大学法律学院法律系(法学部法学科)卒業。 中山奨学金の給付生としてニューヨーク大学大学院修士課程及びハーバード大学大学院法学博士課程(SJD)を修了する。 ハーバード大学在学中は、《波士頓通訊(ボストン通信)》という国民党系雑誌の編集長という肩書きとともに「職業学生」として反政府、民主化勢力の監視と報告に従事していた( ⇒[1])。これについては馬英九側は「当時の政治状況の中で、愛国、反台湾独立を表現したものだ」と説明している。 大学院修了後はメリーランド大学法学部研究顧問、ボストン第一銀行法律顧問、ニューヨーク市内の法律事務所で弁護士として活動した。


政界進出


蒋経国の秘書

1981年、帰台した馬英九は総統府第一局副局長に就任し蒋経国英語通訳を担当した。1984年には国民党中央委員会副秘書長に、1988年には行政院研考会主任委員兼大陸委員会(陸委会)工作匯報執行秘書に、1990年には国家統一委員会研究員、1991年には陸委会副主任委員兼スポークスマンに就任するなど行政経験を積み、同年国民大会代表全国区に国民党候補として選出されている。


法務部長

1993年、連戦が行政院長に就任すると馬英九はその要請を受け法務部長に就任する。法務部長在任中は地方の汚職・不正政治資金摘発に力を振るい、死刑執行にも批判的姿勢を示した。


台北市長

その後、1996年に行政院政務委員に就任。1998年の台北市長選に国民党公認候補として出馬。当時、現職市長だった陳水扁民進党公認・現総統)を破って台北市長になった。馬英九の得票率は51.13%、陳水扁は45.91%だった。

2002年末の台北市長選挙では再選に臨み、民進党候補の李応元(得票率35.89%)に対して、64.11%を獲得して、再選された。


国民党主席兼任

国民党主席の連戦が辞任を表明すると、党内の高い期待を背景に2005年7月16日に行われた国民党主席選挙に出馬(二回目の党員による直接選挙だが、対立候補が出たのは初めて)して37万5056票を獲得、対抗馬の王金平立法院長(14万3268票を獲得)に大差をつけて、第4代国民党主席に選出された。

党主席兼任後2005年末の23県市長選挙では国民党が14ポスト、親国民党系も含めると17ポストを奪い圧勝、国民党内での声望をますます高めた。

だが、2006年9月から10月にかけて発生した「倒扁運動」(陳水扁総統辞任要求運動)の過程では、治安を優先させる台北市長としての立場と、国民党内からの突き上げで運動を拡大させたい党主席としての矛盾する役割から、曖昧な姿勢に終始し、同運動を批判する民進党と、同運動を激化させたい国民党強硬派の双方から批判を招いた。


台北市長としての実績

2006年12月任期満了で辞任した台北市長時代(2期8年)の実績は、下水道整備の普及(40%→82%)、スポーツ施設整備などが挙げられる。しかし、民進党系シンクタンクの台湾智庫が2008年2月に実施した意識調査によると、馬英九8年市政の中で、「最も印象に残った実績」は「知らない」が46.3%、「あまり印象に残るものはない」が27.2%と、合わせて73.5%もの高率に達した( ⇒[2])。

その半面、鳴り物入りで建設されて退任後に開通した「猫空ロープウェイ」は開通当初から事故続きで、台北市の調査でも満足度は14%となっている。

また台北市全域の無線LANの整備も、信号が不安定という指摘が市民からあがっている。

数十億元を使って伝統的な市場や夜市の改修を行うとしてきたが、建成圓環、西門市場、民福市場などは衰退が指摘されている。

文化財保護事業も、士林官邸、七海官邸、孫運?旧邸、李国鼎旧邸、嚴家淦旧邸、錢穆旧邸などかつての国民党政権元老の私邸の保存に積極的な姿勢をとる一方で、台湾の歴史や日本時代を象徴する中山橋、太古巣遺址,臨済寺参道などは取り壊している。

2001年、台風11号(ナーリー台風)に伴う豪雨では、市内各地での冠水状態を黙過する一方、台北市職員を臨時招集せず、対策が後手に回ったことから、死者も出した。この教訓は生かされず、2003年SARS禍でも、市立和平病院での院内感染拡大を放置し、同病院職員および市民に多数の死者や感染者を出すに至った。


特別費横領容疑

2007年2月13日、台北市長時代の首長特別支出費の一部支出について横領容疑で起訴された。ただし一審の台北地裁(同年8月17日)では「特別費は、宋代の公使銭を淵源とし、給与の補填であり、私的に流用しても良い」として無罪判決、さらに同年12月28日、二審の台湾高裁でも同様の理由で無罪判決がそれぞれ下された。また、2008年1月3日、馬英九は二審までの無罪判決を受けて起訴した検察官を告訴した。

特別費横領事件は現在最高裁で審理中。


総統候補

特別費横領容疑で起訴された2007年2月13日、総統選挙への出馬意思を表明。

2007年5月2日、国民党中央常務委員会で総統候補として指名内定。

2007年6月23日、国民党大会で正式に総統候補として承認され、副総統候補に蕭萬長を指名する。

2008年1月12日、立法委員選挙で馬英九が属する国民党が圧勝、その直後の世論調査で総統選挙に向けた支持率が上昇した。

しかし2008年1月27日に総統選挙の候補登録を済ませた翌日以降、対抗馬で民進党候補・謝長廷陣営や一部メディアなどから、1977年に取得したグリーンカードの所持疑惑、馬英九の実姉たちの政治献金不当授受疑惑、暴力団との結託疑惑などが指摘され、対立候補である謝長廷に支持率を猛追されているという報道がなされた。


総統当選

2008年3月22日、総統選挙において、756万8724票(58.45%)を獲得して当選。対立候補の謝長廷は544万5239票(41.55%)にとどまった。


政治路線

1990年代前半、総統選挙を直接選挙にするか委任選出にするかで国民党内で議論となったとき、一貫して「委任選出制」を主張し、直接選挙制に反対した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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