詳細は香港の歴史を参照
1839年:第一次アヘン戦争が勃発。
1842年:南京条約で香港島を清朝からイギリスに永久割譲。
1858年:原住民差別禁止政策施行。
1860年:北京条約で九龍半島南部の市街地を割譲に追加。
1865年:香港上海銀行設立。
1872年:香港上海銀行が初めて通貨発券。
1898年:展拓香港界址專條で深?河以南、界限街以北の九龍半島、235の島(新界)を99年間の期限付きで租借。
1941年:大東亜戦争(太平洋戦争)勃発により日本軍が香港を占領。
1942年:日本軍の磯谷廉介中将が香港総督に就任。
1945年:日本の敗戦によりイギリスの植民地に復帰。
1950年:イギリスが、中国共産党により前年に北京を首都として建国された中華人民共和国を承認し、中華民国政府と国交を断絶する。
1967年:文化大革命の影響を受けた中国共産党系住民が暴動を起こす。
1983年:アメリカドルとのペッグ制(US$1≒HK$7.8)を開始。
1984年:イギリスのマーガレット・サッチャー首相と、中華人民共和国の?小平共産党中央委員との間で租借地と割譲地域の返還に合意。
1992年:最後の香港総督であるクリストファー・パッテン就任。
1997年:租借地と割譲地域をイギリスから中華人民共和国へ返還。
香港という名称は珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾および沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。現在の香港の領域には香港島、九龍半島、新界および周辺の南シナ海に浮かぶ200余りの島が含まれる。面積は東京23区の約2倍程度。
ランタオ島(大嶼山)は領域内で最大の島であり、香港島の約2倍の面積を持ち、香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。香港の地形は全体に山がちであり、最高点は標高958メートルの大帽山である。中華人民共和国本土との境辺りを除き平地は少なく、主なものに元朗平原があり、付近の海岸には湿原がある。
温暖冬季少雨気候(サバナ気候〜温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。
秋はしばしば台風に襲われ、スターフェリーやマカオへ行く水中翼船などの海の便や航空便、2階建てトラムが運行停止になることもある。台風の警報がでると、各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休みとなる。
冬は北風が中国大陸から吹くため、中華人民共和国本土の埃や環境対策が進んでいない工場からの排気や自動車の排気ガスなどで汚染された空気が入り込んで来ることが多く、そのために近年は霧や靄が発生することが多くなっている。
人口香港島ビクトリアピークの山頂のからビクトリア・ハーバーを眺める。香港は平地は少ないが人口は多い。そのため市街区の人口密度は極めて高く、数十階を有する高層ビルが多数ある
香港特別行政区政府統計処が公開したデータによれば、香港の人口は2007年6月現在で692万1700人、前年同期比0.9%の増加であったという。香港の大部分は居住困難な山岳地域にも拘らず、わずかな平地に膨大な人口を抱えるため、緑豊かな山岳地域のわずかな平地部分に超高層ビル群が林立する奇抜な景観を有する。全世界で最も人口密度が高い地方の一つで、1平方キロメートルあたりの人口密度は6,270人であるが、平地部分に限定すれば、20万人以上にもなる。香港の出生率は1000人あたり9.6人(2006年)で、世界でも低水準にある。
香港島北部のわずかな居住地域と九龍半島への人口の集中が著しい。面積は両者を合わせて127.4平方キロメートルと香港全体の面積の12%足らずにすぎないが、この範囲の中に香港の総人口のおよそ半分にあたる約350万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートルあたりの人口密度は43,030人、同じく香港島は15,920人である(何れも2006年)。
香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の95%近くを占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やインドネシア人で、その次に多いのがアメリカ人、次いで元宗主国のイギリス人である。
ちなみに日本人は約2万人いる。
香港には、18の行政上の下部地域(区(繁体字表記では「區」))がある。1982年に区議会が設置されたのが、区の由来である。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年に、?湾區から葵青區が分離した。1994年には、油尖區と旺角區が合併し、現在の油尖旺區となった。
香港島
中西区 (Central & Western District)