詳細は首都の一覧を参照
首都と呼べる都市を複数持つ国もある。
南アフリカ共和国では、三権分立の観点から、国会はケープタウン、政府はプレトリア、最高裁判所はブルームフォンテーンに所在する。同国の首都はプレトリアであるとするのが通例であるが、厳密にいうと南アフリカ共和国には首都が三つあるということになる。江戸時代の日本でも首都機能が分散されており、名目上の首都(天皇のいる京)と、行政機関所在地(幕府のある江戸)と、幕府の外交機関所在地(貿易港・出島のある長崎)が、それぞれ別々に置かれていた。ただし、外交の決定は江戸で行われ、また、長崎は対ヨーロッパ・中国のみで、幕府以外が管轄する異域との外交機関も他に存在した。蝦夷地・和人地では松前藩がアイヌ人との、薩摩藩の鹿児島では仮屋(在番親方)にて琉球王国との外交があった(国際法上の国に当たらないとして外交と見ないこともある)。なお、在外公館にあたるものに、李氏朝鮮にあった対馬藩の倭館、琉球王国にあった薩摩藩の仮屋(在番奉行)、清国福建にあった琉球王国の柔遠駅がある。
公認された首都が複数存在するという国も存在した。古代の東アジアでは、中国の唐が長安と洛陽と太原の三都制(後には鳳翔と成都を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や渤海などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていた唐も、実質的には長安が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は長安を離れて洛陽に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。
歴史的な複都制については複都制を参照
近代においても、王制時代のリビア(1951〜63年はリビア連合王国、1963〜69年はリビア王国)では、トリポリとベンガジの二つの首都を置いており、国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた。
憲法や法律で首都を規定している国家では、憲法や法律で規定された名目上の首都と、国家機関が集中する事実上の首都が異なる例が存在する。
オランダ:憲法上の首都であるアムステルダムと、独立以来の国家機関所在地であるハーグ。
ボリビア:法律上の首都であり最高裁判所所在地であるスクレと、最高裁判所以外の国家機関所在地であるラパス。
タンザニア:遷都先で法律上の首都であるドドマと、今でも国家機関の多くが置かれているダルエスサラーム。
モンテネグロ:憲法上の首都であるツェティニエと、国家機関所在地(事実上の首都)であるポドゴリツァ。
政治的な事情により、事実上の首都と形式上の首都が異なる国もある。極端な場合、実際には統治していない場所を政治的理由から首都と主張することもある。中華民国(台湾)は、実質上の首都は台北であるが、それは「臨時首都」に過ぎず、あくまで首都は南京であると主張する。もちろん現在の南京は中華人民共和国の支配下にあるが、中華民国は大陸を支配していた時代には南京に首都を置いていたことに由来する。また、朝鮮民主主義人民共和国の首都は平壌であるが、1972年までは憲法上の首都はソウルであり、平壌は統一までの臨時首都とされていた。
これも政治的な事情により、事実上の首都が国際的には認知されていないという場合もある。イスラエルは、国会の決議によりエルサレムを首都に選定し、国家機関の多くもエルサレムに置かれている。しかし、国際連合や諸外国の多くはこれを認めず、テルアビブを首都と見なしている。
王国では、王宮所在地と首都が一致しないことがある。かつてのラオス王国(1945-1975)では、首都はヴィエンチャンであったが、国王はルアンパバーン(ルアンプラバン)に居住しており、後者はラオスの「王都」と呼ばれていた。これも、「複都制」の類型のひとつとみなすことができよう。
面積の小さな国では、首都が存在しない場合もある。主権国家として承認されている都市国家については、1つの都市が主権を持ち国家となっているため、理論上「首都」は存在しないことになっているシンガポールの例もある(モナコは首都であるモナコ市のみが存在する国である)。都市国家であるバチカン市国の場合も同様に解される。なお、ナウル共和国の首都は通例、政府機関が位置するヤレンであるとされているが、同国には「都市」と呼べるものが存在せず、さらにヤレンもナウルの「地区」にしかすぎず、その上にナウル政府も自国の「首都」の存在を公認していないため、ナウルには首都は存在しないとする方が正確である。