江戸時代には主に盛岡藩8万石(後に20万石に高直し)と弘前藩4万5千石(後に10万石に高直し)が現在の県域にあたる地域を支配した。ほか、盛岡藩の支藩として八戸藩2万石、七戸藩1万石そして弘前藩の支藩として黒石藩1万石があった。いずれの藩においても最北の地にあるため飢饉の際に大きな被害を受けたが、下北地方では餓死者がほとんどいなかった。江戸時代においても青函海峡沿いにアイヌ人がいたと伝えられている。
戊辰戦争時、弘前藩も盛岡藩も当初奥羽列藩同盟に属していたが、途中で弘前藩は官軍に寝返った。戦後、盛岡藩は大幅に石高を減らされ、その跡に斗南藩が置かれ、もと会津藩の松平家が3万石で入った。
明治-昭和初期(戦前)
1868年11月 旧暦9月、野辺地戦争。野辺地で弘前藩兵と盛岡藩兵・八戸藩兵とが交戦。
1871年7月 廃藩置県。現在の青森県域には、旧藩を引き継いだ弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県が成立。
1871年9月 弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県、館県の合併により、弘前県が成立するが、その直後、県庁が弘前から青森に移ったことで、青森県と改称。歩兵第5連隊青森駐屯。
1872年10月 福島郡など(旧館県)が開拓使に移管。
1876年 明治天皇巡幸。
1876年5月 二戸郡を岩手県に移管して現在の県域が確定。
1896年 第8師団、弘前に駐屯。
1902年1月 八甲田雪中行軍遭難事件。歩兵第5連隊第2大隊、八甲田山で遭難。
1905年 第8師団日露戦争に従軍、黒溝台会戦で死傷6300人。
1908年3月 青函連絡船の運航が始まる。
1922年 第8師団シベリア出兵。
1930年9月 米国の太平洋横断機タコマ市号、三沢淋代海岸から出発したが東通村尻労に引き返す。
1931年10月 米国の太平洋横断機ミス・ビートル号、三沢淋代海岸から出発し合衆国ワシントン州ウェナッチに着陸。世界初の太平洋無着陸横断飛行。
1945年7月 青森大空襲、また八戸、三沢、大湊などでも空襲、青函連絡船7隻沈没、青森大空襲での死傷者1769名。
戦後
1945年9月 米第7艦隊、大湊に入港(8日)。米陸軍、旧日本海軍三沢飛行場を接収して三沢基地に。
1954年9月 青函連絡船洞爺丸が北海道七重浜沖で転覆、乗客乗員合わせて1139名が死亡又は行方不明。
1963年 むつ製鉄株式会社設立(むつ小川原地域の砂鉄を製鉄する国策会社)。
1965年 青森空港営業開始。
1965年4月 むつ製鉄事業化断念
1967年 科学技術庁、大湊港を原子力船母港に決定。
1971年4月 むつ小川原開発会社設立。
1980年 車力ミサイル基地発足。
1980年5月 むつ小川原国家石油備蓄基地着工
1985年 核燃料サイクル施設、六ヶ所村に立地決定。
1985年 米空軍三沢基地へのF-16戦闘機配置が開始。
1985年3月 青函トンネル本坑貫通。
1985年夏 冷夏、青森県の作況指数は47。
1985年9月 むつ小川原国家石油備蓄基地完成
1987年7月 現在の青森空港が供用開始。
1988年3月 青函トンネル営業開始。これにともない青函連絡船営業廃止。
1988年 7月9日から9月18日まで青函トンネル開通記念博覧会が行われた。マスコットは「シャコちゃん」。エアドームの愛称は「夢来ちゃん」。
1988年10月 ウラン濃縮工場着工
1990年11月 低レベル放射性廃棄物埋設センター着工
1991年9月 台風19号によるリンゴ落下(被害面積22,400ha)。最大瞬間風速は青森市で53.9m/s。
1992年 原子力船むつ解体。
1992年 三内丸山遺跡発掘調査開始。
1992年3月 ウラン濃縮工場操業開始
1992年5月 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター着工
1992年12月 低レベル放射性廃棄物埋設センター操業開始
1993年4月 核燃料再処理工場着工
1993年夏 冷夏、青森県の作況指数は28、特に太平洋側は皆無作。
1993年12月 白神山地、ユネスコ世界遺産に登録。
1994年8月 三内丸山遺跡の永久保存と活用が決定。
1995年4月 青森空港にソウル線とハバロフスク線が開設。
1995年4月 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター操業開始。
1997年10月 第1回北東北知事サミット、十和田湖で開催。