タイは、爵位制度が存在する社会である。ラーチャウォン(王族)と呼ばれる人々がこの爵位制度によって階級分けされており、全部で5つ存在する。ラーチャウォンと呼ばれる人々には階級に応じて年金などの特権が存在する一方で、階級によっては政治関与などに制約がかかっている場合もある。(詳しくはラーチャウォンを参照。)
一方、アユタヤ王朝時代に作られたクンナーンと呼ばれる官僚にはバンダーサックと呼ばれる階級が存在した。バンダーサックは元々貸し与えられる耕作面積に応じて階級分けがなされたが、チャクリー王朝期には徐々に名誉的な階級に変化し、その人がどれだけ有力かと言うことを示す階級となった。これは、立憲革命時に新たなバンダーサックの下賜は廃止されたが、国王に剥奪されない限り名乗ることができたため、20世紀中期まで、バンダーサックを有する官僚らが活躍した。仮にバンダーサックを立憲革命以前に下賜された人が居たとして現に生存している場合、そのバンダーサックは公式にも使われるため、見方によっては現存の階級制度と見なすこともできる。
また警察や軍隊も階級(大将、軍曹など)を保持しており、公式な場では必ずこの階級が利用される。これを保持している場合、平民の敬称であるナーイ、ナーンなどは使われない。これは一度保有すると昇級や剥奪されない限りそのまま使い続けることができ、退職してもそのまま使い続ける事ができる。たとえば過去のタイの総理大臣であるプレーク・ピブーンソンクラームは元帥から退いた後も元帥の階級を保持しており、現在でも元帥という階級と共に呼ばれる。
アメリカ南部州では、かつては人種差別が立法されていた。60年代の公民権運動以来、差別法は廃止となっていった。一方、資産による区別は激しくなる傾向にあり、資産階級は犯罪時の対応や住宅街へ通じる道路の補修といった形での様々な恩恵を受けることもある。
実情では、資産階級になる早道として高報酬の職業、高いポストの職階に就くためには、実績、高い学歴や試験資格を得る必要がある。その教育に金をかけるという意味で貧民層(マイノリティーに多い)はその職業に就くことは困難である。またマイノリティーは、例え実績や学歴を積んでも、ある職階で出世が閉ざされる(ガラスの天井)ことが多い。一方で、ベンチャー企業の立ち上げによる資産形成や、スポーツ選手や芸能人として名士になる方法もあるが、一部のマイノリティーのベンチャー企業への投資には、見えない形で制限がかけられている場合が多い。また名士になれる可能性は、実力も飛び抜けて必要であり、また他の資産階級になる方法と比べ、確率が非常に小さいことにより、新たな形のマイノリティー差別との指摘もある。
オーストラリアは、アメリカと同様に、かつては白豪主義と呼ばれる人種差別が行われていたが、この制度は撤廃された。また、近年アジアとの経済的結びつきが大切であることが認識され、人種による階層差別は姿を消しつつある。しかしながら、先住民族であるアボリジニの問題も残されている。
日本では、憲法第14条が法の下の平等を規定しており、国民の間には世襲的な特権階級は存在しないとされている。ただし、例外として皇族は存在する。
しかしながら、現在では廃止されている被差別部落や旧華族といった歴史的な階級も、慣習として一部社会に残っている。さらには、国内の民族的マイノリティ(アイヌ、海外からの移住者等)が1990年代頃まで長らく少数民族としては公に認識されてこなかった歴史があり、事実上、階級化されているとの指摘もある(1992年まで外務省は、国内の少数民族を認めていなかった)。
このほか、医師、弁護士などの職業、博士の学位取得者、首長や議員などの政治家、学校長や税務署長などの公職者、武道・華道や囲碁・将棋などの技能称号、宗派内の高位の位階にある僧侶、芸能・スポーツ・叙勲などの各種の賞の受賞者、および人間国宝などの公的な認定制度を受けた者が広く社会の尊敬の対象とされる傾向があり、これが一種の階級として慣例的に通用する場合がある。ただし、これは名士としての扱いであり、席順、挨拶の順番、敬称や組織内部での発言力の序列程度で普遍的な区別・差別とは繋がらなく、直接的な世襲は行われない。しかし、家元や大学といった閉鎖された組織内においては、称号(または職名)が絶対的となる場合もあり、一部の人間は外部に対しても権威を振りかざす場合も存在する(これは本人の人格によるものであるが、制度・組織の脆弱性とも言える)。
また、主に企業などでは、職務の度合いに応じて責任を示す職階、役職(課長、部長、役員など)が、職務上の指揮命令の権限だけでなく、組織内での様々な待遇(食堂の別、運転手や執務用個室の有無など)の格差に及んでいる。
こうした職階の制度は職務に対する責任と報酬の度合いをはかるのに必要なものであるが、日本の組織内の階級制度はしばしば法的根拠を欠く業務外での待遇格差と指揮権限(いわゆる職権濫用)に及んでおり、商法に違反した重大な人権問題行為であるとも指摘されている(いわゆるパワーハラスメント)。例えば、就業規則に上位役職の業務命令を遵守するように規定される一方で、その業務命令の範囲と遵守違反に対する懲戒が明確でないケースがあり、遵守違反者に対する免職は裁判で会社側が勝った判決例が存在する。また、人事や給料の査定は上位役職の権限であり、職位によっては関連会社への発注権限もあるため、従業員や関連会社の従業員もしくはその家族は上位役職者の感情を害さないように業務外でも役職に従わざるを得ない場合もありえる。
こうした日本企業の特徴は、企業が株主でなく経営者のための経営と化し外部監査が機能していないことによる現象とも指摘される。実際に、上位役職者とその家族が、役職の権限を私物化して、裁判や社会問題になったこともある。
さらに、組織やその直接的利害関係者の外においてみても、個人の所属組織名や役職名が、銀行ローンの上限、ゴルフクラブの会員権やクレジットカードの種類に影響を及ぼしたり、その家族の結婚や就職などにまで影響することは珍しくない。このため、所属組織の権威・実力や、役職の肯定が、実質的な社会階級と化していることもある。もっとも、こうした傾向は政治家などの「名士」とされる人々においてもみられるし、必ずしも日本の民間企業に限った現象ではない。
また日本においては、学歴による社会通念上の階級も歴然と存在する。それは大卒・高卒といった異種間の教育程度には限定されない。大卒者同士の中にも出身大学名による潜在的な差別が存在するのである。また、日本が諸外国と違うことには、学士の優先度が高いことがある。すなわち、有名大学の学士は、無名大学の博士よりも価値があるとされているのである。しかし、こういった日本の学歴差別が、実際にはどれほど人々の生活に影響を及ぼしているかは未知数である。