陳水扁
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陳水扁

2007年台北国際花卉見本市にて
中華民国第10-11代総統
任期:2000年5月20日 ? 2008年5月20日

出生:1950年10月12日
台湾台南県官田郷
政党:民主進歩党1987年 - 2008年
無所属(2008年 - )
配偶:呉淑珍

陳水扁
繁体字:陳水扁

発音記号
普通話
- 漢語?音:Chen Shu?bi?n
- イェール式:Ch'en Shui-pien
- 注音符号:??? ???? ????
?語
- ?南語 白話字:Tan Chui-pi?

陳 水扁(ちん すいへん、1950年10月12日 - )は中華民国台湾)の政治家。北京語でチェン・ショイピエン、台湾語ではタン・ツイピイと発音する。

台南県官田郷に生まれ台南客家の後裔を自称する。2000年から2008年まで中華民国総統を務める。それまでは台北市議員、立法委員、台北市長、民主進歩党主席などを歴任した。

陳水扁は中華民国で住民の直接選挙により選出された2番目の総統であり、初めての民主進歩党から選出された、台湾の本土化運動を推進する立場からの総統である。台湾独立運動の筆頭とされる李登輝以上の独立志向を有しているとされ、そのため中華人民共和国との緊張関係を発生させた。

台湾では出身が貧しい農家に生まれ、自らの努力で総統に上り詰めたばかりか、台湾の民主主義と主権独立を保護していることを評価する勢力と、言動不一致の政策能力に欠如した人物と評価する勢力が拮抗している。
目次

1 通称

2 生い立ち

3 政界進出

4 台北市長

5 総統選出馬

6 中華民国総統として

6.1 1期目(2000年?2004年)

6.2 2期目(2004年?2008年)

6.2.1 総統選挙再選

6.2.2 スキャンダル

6.2.3 台湾正名政策

6.2.4 支持率低迷と2008年立法院選挙


6.3 両岸関係と外交政策


7 総統退任後

8 外部リンク

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通称

通称の阿扁であるが、「阿」は中国語で人名の前に付与し親近感を表す文字であり、その通称で国民との親近感を演出している。これにより台湾の各種メディアでは陳水扁政権を扁政府と称すこともある。ちなみに、学生時代から彼を知る人物は「第一名(就学時代、すべてトップの成績だったことから)」と呼ぶことがある。


生い立ち

陳水扁は1950年10月12日に台南県官田郷の小作農家の家庭に生まれた。出生直後は家族は無事に養育できるかの不安が強く、そのため出生届は1951年2月18日に初めて提出された。幼少時より学業成績が優秀であり、農漁会奨学金を得て小学校を卒業することが出来た。

1969年国立台南第一高級中学を卒業し、台湾大学商学部へと進学した。しかし法学に対し関心を有すようになったため商学部を休学し、翌年再度受験に挑戦し、台湾大学法学部に首席の成績で入学した。大学3年の1973年、成績主席で司法試験に合格し「学士律師」となった。

1975年、同じ小・中学校に通っていた呉淑珍と結婚、海商法を専攻していた陳水扁は翌年華夏海商法事務所の弁護士となり、長栄海運の常任顧問弁護士を担当した。


政界進出

1979年に発生した美麗島事件が陳の政界に進出する契機となった。美麗島事件の被告弁護団に参加した陳水扁は主犯格とされた黄信介の弁護を担当し、党外活動(反中国国民党運動)に従事するようになった。1981年台北市の市議会議員選挙に立候補し、最高得票で当選した。同時期、台湾民主化運動の先駆者鄭南榕が創刊し作家である李敖が出資する自由時代系列雑誌社の社長に就任した。当時の雑誌社のスローガンは「100%の言論自由を!」であった。

1985年、議員辞職した陳水扁は台南県長選挙に出馬するが落選した。この選挙運動中に夫人である呉淑珍は国民党の陰謀説もある自動車事故に遭遇し下半身不随となった。この事故で陳の知名度は大幅に向上、多くの民衆の支持を得る契機となった。

1986年、蓬?島雑誌事件で国民党立法委員馮滬祥から名誉毀損で告訴され懲役1年(後に8ヶ月)の判決を受けた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki