1839年11月3日、林則徐による貿易拒否の返答を口実にイギリスは戦火を開き、清国船団を壊滅させた。「麻薬の密輸」という開戦理由にイギリス本国の議会でも、野党保守党のウィリアム・グラッドストン(後の首相)らを中心に『こんな恥さらしな戦争はない』などと反対の声が強かったが、清に対する出兵に関する予算案は賛成271票、反対262票の僅差で承認され、この議決を受けたイギリス海軍は、イギリス東洋艦隊を編成して派遣した。
艦隊は広州へは赴かず、いきなり天津沖に姿を現した。北京に近い天津に軍艦が現れたことに驚いた清政府は(政権内の権力闘争も加わって)林則徐を解任し、イギリスに対する政策を軟化させた。
1840年11月、イギリス艦隊は清政府に対して香港割譲などの要求を出す。清政府はこれを拒否し、翌年1月7日、艦隊は攻撃を開始した。虎門の戦いでは関天培らが奮戦するもイギリス側は完全に制海権を握り、火力にも優るイギリス側が自由に上陸地点を選択できる状況下、戦争は複数の拠点を防御しなければならない清側正規軍に対する、一方的な各個撃破の様相を呈した。
1842年8月29日、両国は江寧(南京)条約に調印し、阿片戦争は終結した。
この条約で清は多額の賠償金と香港の割譲、広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認め、また、翌年の虎門寨追加条約では治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認などを余儀なくされた。ただ意外にも戦争の原因となったアヘンについては特には触れられなかった。この戦争の発端となった恥ずべき原因を文書上に残すことをイギリス側が躊躇したためである。
このイギリスと清との不平等条約に他の列強諸国も便乗するところとなり、アメリカ合衆国との望厦条約、フランスとの黄埔条約などが結ばれている。
この戦争をイギリスが引き起こした目的は大きく言って2つある。それは、東アジアで支配的存在であった中国を中心とする朝貢体制の打破と、厳しい貿易制限を撤廃して自国の商品をもっと中国側に買わせることである。しかし、結果として中英間における外交体制に大きな風穴を開けることには成功したものの、もう一つの経済的目的「全ての中国人にイギリス製の靴下を履かせる」という目論見は達成されなかった。中国製の綿製品がイギリス製品の輸入を阻害したからである。これを良しとしなかったイギリスは次の機会をうかがうようになり、これが第二次阿片戦争とも言われるアロー戦争へとつながっていくことになった。
阿片戦争は清側の敗戦であったが、これについて深刻な衝撃を受けた人々は限られていた。主戦場が広東という北京からは遠く離れた場所であったことや、中華が夷狄に敗れることはまま歴史上に見られたことがその原因である。しかし一部の人々は、イギリスがそれまでの中国の歴史上に度々登場した夷狄とは異なる存在であることを見抜いていた。たとえば林則徐のブレーンであった魏源は、林則徐が収集していたイギリスやアメリカ合衆国の情報を委託され、それを元に『海国図志』を著した。「夷の長技を師とし以て夷を制す」という有名な一節は、これ以後の中国近代史がたどった西欧諸国の技術・思想を受容して改革を図るというスタイルを端的に言い表したことばである。この書は東アジアにおける初めての本格的な世界紹介書であった。それまでにも地誌はあったが、西欧諸国については極めて粗略で誤解に満ちたものであったため、詳しい情報を記した魏源の『海国図志』は画期的であったといえよう。
阿片戦争における清朝の敗戦は、清の商人によって、いち早く幕末の日本にも伝えられ、大きな衝撃をもって迎えられた。以前より蘭学が発達していた日本では、中国本土よりも早くこの戦争の国際的な意味を理解し、危機感を募らせた。そのため先にあげた魏源の『海国図志』もすぐに日本に伝えられている。幕末における改革の機運を盛り上げる一翼を、この阿片戦争から生まれた書物が担っていたのである。やがて、この機運は明治維新という大きな流れとなり、日本を近代国家へと生まれ変わらせる事となる。
小説
『阿片戦争』陳舜臣著 ISBN 4061311883・ISBN 4061311891・ISBN 4061311905
映画
『阿片戦争』(1943年日本、監督:マキノ正博)
『阿片戦争』(1959年中華人民共和国、監督:鄭君里、岑范)
『阿片戦争』(1997年中華人民共和国、監督:シェ・チン)
参考文献
『支那外交史とイギリス〈その1〉アヘン戦争と香港』矢野仁一 著 ISBN 4122016894
『林則徐―清末の官僚とアヘン戦争』堀川哲男 著 ISBN 412202837X
『清代アヘン政策史の研究』井上裕正 著 ISBN 4876985200
『林則徐』井上裕正 著 ISBN 4891742291
『茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会』角山栄 著 ISBN 4121005961
『近代の誕生 第V巻 民衆の時代へ』ポール・ジョンソン 著 別宮貞徳 訳 共同通信社 ISBN 4764103427
脚注^ 『近代の誕生 第V巻』p.113 清国ではイギリスの主要輸出品だった綿織物への需要はほとんど無かった。
^ 『近代の誕生 第V巻』p.113 清国は1810年?1820年には2600万ドルの貿易黒字を計上している。
^ 『近代の誕生 第V巻』p.114 清国の貿易収支は1828年?1836年に3800万ドルの輸入超過になっている。
^ 実際は、海水(食塩水)と消石灰による化学処理によって、アヘンを無害な物質に変えて処分したのであるが、その時の化学反応で発生した煙によって、焼却処分したと庶民の間では伝承されてきた。