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バックネット裏入口・改修工事前の撮影。球場外壁を覆う蔦バックネット裏入口・改修工事前、蔦の伐採後の撮影。取り除かれた蔦の代わりに工期期間中は緑のパネルで全体を覆う。
1990年代初頭、いずれ来る甲子園球場の建替えについて、阪神電鉄首脳がドーム球場化を念頭において、アメリカの主要ドーム球場を視察して廻った。当初は阪神パーク跡地に、新甲子園ドーム球場を建設する計画もあったようである。その後、バブル崩壊や、西梅田再開発事業など優先事案があったこともあり、この建替え案は白紙撤回することとなる。だが、予てから球場の耐用年数が築80年程度と診断されていたことや、阪神・淡路大震災でスタンドの一部に亀裂や崩落が発生し、補修せざるを得なかったこともあり、改めて全面的な球場施設の改修について、建替えも含め具体的な構想が浮上した。そして2004年7月に構想の一部概要が報道された。内容は、当初計画されていたドーム球場ではなく天然芝の開放型球場とし、建替えではなく段階的にスタンドや銀傘、場内設備の全面改装をしていくこととして、西大阪線延伸事業が一段落する2008年のシーズンオフを目途に着工し、引き続き球場を使用しながら工事を進め、その他の大規模な工事についてはシーズンオフを中心として段階を追って行い、2010年以降の完成を目指す、というものであった。
2005年11月には基本構想として正式発表されている。改修に関する主な構想は下記の通り(詳細は後述の外部リンクを参照のこと)。
2007年10月着工、2010年3月竣工。シーズンオフを中心に3期にわけて工事を行い、プロ野球・高校野球はともに開催予定とする。
内野・外野ともに天然芝の形態、黒土、オープンエアー(グラウンドに屋根をかけない)。
甲子園のシンボルとされている蔦を改修工事前に一旦伐採(2006年度と2007年度のシーズンオフ2年間に分けて行う)し、工事終了後に再植栽。
2007年シーズンオフに銀傘を撤去し、2008年シーズンオフに新しい銀傘に付け替える。
バリアフリー対策により、収容人員を4万7,000人に縮小する。
ドーム化見送りに関しては高校野球界から「青空の下でプレー出来なくなり、高校野球に相応しくない」との反対論が続出していた可能性が高いとされる。 また収容人数を減らすことにより今以上に阪神戦のチケットの競争率が高くなり、球場へ見に行けなくなるファンが今よりも増えてしまう可能性があるため、改修するのなら増席をするべきだという意見もあった。
なお、この改修により2007年?2009年のシーズンは阪神がホームとなるポストシーズン(クライマックスシリーズと日本シリーズ)のゲームを甲子園球場で行わないこと(代替開催先は京セラドーム大阪またはスカイマークスタジアムを使う予定)が2005年11月の実行委員会で了承された。ただし、2009年のポストシーズンゲームは後述の工期短縮により甲子園で開催予定に変更となった。試合ではないが、毎年甲子園で行われた「ファン感謝デー」は2007年はインテックス大阪に会場を移し「ファン感謝の集い」として行った。甲子園ボウルは2007年と2008年は大阪市長居陸上競技場で行われる。
上記基本構想を若干変更し、銀傘設置工事を集中化(2008年度は旧来の銀傘を維持し、同年10月から2009年春の工事で撤去・付け替える)させることにより工事期間中に銀傘を設置した状況が維持されること、内野観客席は2008年シーズンからリニューアルされたものが使用されること、外周や売店をのぞいては2009年3月までに完成することが2006年7月に公表された。
3月11日、大林組より引渡しを受け工事完了となった。後に無観客で行われた練習試合において選手達からグラウンドとダッグアウトとの段差が高すぎる(90cm)、後列の椅子と天井の間が無さすぎるなどの指摘を受け、椅子を前にずらすなどダッグアウト内の手直しを行った。3月22日、第80回選抜高等学校野球大会で内野エリアのリニューアルオープンをむかえた。
また、バックスクリーン中央上部にプロ野球開催時に限り時計カウンターが仮設された。これは2008年から試合の攻撃間インターバルを出来るだけ2分15秒(投手交代時は2分45秒)以内に収めて試合時間短縮をしようという球界の奨励に基づいて義務付けられた時刻表示のため。
5月には第2期改修の変更概要が発表された。アルプススタンドもファウルグラウンドへ拡張する(それに伴い両翼の距離が変更される可能性もあるが詳細は不明)ことや、アルプス・外野エリアの観客用施設面積が増え、場内サービスを内野エリア並に引き上げることなどが発表された。また完成後の外観想像図も更新された。おおきな変更点はないが、照明塔のデザインがキャンドルスティック型からトラス構造のものに変わっている。
歴史3代目スコアボードの全景(2007年第89回全国高等学校野球選手権大会)スコアボードの右半分(2006年第88回全国高等学校野球選手権大会の決勝再試合)
開設当時の甲子園のスコアボードは得点掲示のみをする仮設の板であった。これは1924年の夏の高校野球の開催に間に合わせるために球場を建設したため、常設のものが間に合わなかったためである。1925年に選手名も表示するスコアボードが正式に開設された。この当時から球場独特の明朝体の選手・チーム名表記がなされていた。
しかし、当時のスコアボードは最大で十六回までしか書き記すことが出来なかった。1926年の夏の大会・静岡中学 - 前橋中学の試合は延長十九回まで続き、常設のスコアボードにやぐらで仮設のスコアボードを急ごしらえして凌いだ。その後1933年準決勝の明石中学 - 中京商業の試合は二度と破ることができない延長25回(現在規定では延長15回までのため)まで0-0の同点という試合(試合は中京商業がサヨナラ勝ち)となり、その仮設のやぐらに0のパネルが並び続けたため見辛いということから、1934年にスコアボードを改修することになった。