阪神甲子園球場
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外壁を覆う蔦は1924年12月に植栽された。正面の7号門と8号門の周りには日当たりの悪いところでも生育しやすいウコギ科の蔦を、その他の部分は冬に葉を落とすブドウ科の蔦を採用し、阪神園芸の手で管理されている。かつては約430株ほどが植えられ、葉の総面積はおよそ畳8000畳分あると言われた。 リニューアル工事のため今は蔦はない。その代わりに、蔦をイメージした緑のパネルで覆われている。蔦は、2000年(平成12年)に高校野球20世紀メモリアル事業の一環として全国の高校野球連盟加盟校4170校に配布され、現在も育てられている。そのうち生育状態の良い苗が233校から集められ、2008年6月14日、「蔦の里帰り」として甲子園に植えられ始めた。約10年がかりで緑の甲子園が戻る予定。


球場の歴史

1924年7月31日 - 西宮市の武庫川の支流である枝川、申(さる)川を廃川とし、その川沿いに埋め立てられた場所に完成。国内の球場では参考に成る物がなく、アメリカ合衆国ニューヨークにあったニューヨーク・ジャイアンツの本拠地・ポロ・グラウンズをモデルに設計されたと言われている。完成するまでは紅洲(べにす)遊園地と名づけられていたが、この年の正月に阪神電車関係者が西宮えびす神社に参拝した時に十干十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)が60年に1度来ると言う縁起の良い年である事から後に阪神電車甲子園大運動場(はんしんでんしゃ こうしえんだいうんどうじょう)と命名された。当初は陸上競技場としても利用される事を念頭に設計され、また内野席全体(現在のアルプススタンドを除く)に鉄傘が設置され当時の大きさから大鉄傘といわれた。?落としは阪神間学童運動会。同年から全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の主会場となった。12月に蔦が植栽される。

1925年 - 初代スコアボードを正式開設。(仮設板を入れると2代目)

1929年 - 内野東西スタンドが木造から、鉄筋コンクリート50段、高さ14.3mに改築。その夏開催された中学野球の折、観客の着衣でスタンドが白く映え上がって見えた事から、当時の人気風刺漫画家・岡本一平岡本太郎の実父)が、朝日新聞に「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ(外スタンドはまた素敵に高く見える、アルプススタンドだ、上の方には万年雪が有りそうだ)」とイラスト入りの投書を寄せたのをきっかけに、「アルプススタンド」の通称が付く[1]

1930年 - アルプススタンドにも鉄傘がかけられ其の大きさから超大鉄傘へと変わる(1943年に撤去、以来復活していない)。

1931年10月1日 - 三塁側アルプススタンド下に温水プール開場(1937年、甲子園プール完成に伴い閉鎖・現在は3塁側のブルペンに其の姿を変えているがブルペンの至る所にプールだったと言う証拠が分かる)。

1934年 - 外野中央に2代目スコアボード完成(仮設板を入れると実質3代目スコアボード(通称・軍艦形))。

1935年 - 日本で4番目(現存する球団では2番目)のプロ野球チーム「大阪野球倶楽部」設立。甲子園をフランチャイズとする。

1936年 - 外野東西スタンドが木造から、鉄筋コンクリートに改築。「ヒマラヤスタンド」の愛称がつけられた。グラウンドが現在の両翼96m(95mとも)、中堅120mとなり現在の形となる。

1943年 - 太平洋戦争に伴う金属類回収令のために鉄傘が供出される。

1945年 - アメリカ軍に接収されたため、1946年度のプロ、高校の各種野球の公式戦の開催が出来ず(西宮球場で代替)。

1947年5月26日 - ラッキーゾーン(外野のフィールドに本塁打が出やすくするように設ける金網柵)の設置工事が完了。両翼が91mとなる。この年スタンド・グラウンドのみ接収が解除される。

1948年 - フランチャイズの暫定導入に伴い、タイガースだけでなく南海ホークスも本拠地として使用した(本来は大阪府中百舌鳥球場を使うところだが、施設上の問題から公式戦では使われず、当球場を使用した)。

1951年 - 内野ネット裏を中心として銀傘が復活。毎年、真夏の恒例球宴のオールスターゲームの記念すべき第1戦開催。

1953年 - この年の日本ワールドシリーズ南海 - 巨人の第6試合が特例で当球場で開かれた。しかし有料入場者は6,346人でシリーズワースト記録となった。

1954年 - スタンド下部分の接収が解除され球場全体が阪神電気鉄道に返還された。

1956年 - ナイター照明設備完成。その年の夏の甲子園でも早速、ナイターゲームが誕生した。

1958年 - スコアボードが完全手書き式に変更(※1934年に完成した2代目(通算3代目)のスコアボードは得点部分が機械仕掛けで表示される仕組みだったが、ナイター設備完成時に照明が反射して見辛いという苦情がきたためガラスを撤去。すると今度は雨で機械が故障するというアクシデントが生じたため結果完全手書き式になった)。スコア表示と下段を一部改造。

1963年 - 内野側に広告設置。

1964年2月14日 - 球場名を甲子園球場から阪神甲子園球場に変更。室内練習場完成。

1973年10月22日 - 阪神対読売ジャイアンツ戦、勝ったチームがセ・リーグ年度優勝を決める試合で、巨人が9-0で勝ち、日本プロ野球記録の9年連続リーグ優勝を決めるが、阪神ファンが試合終了後余りの不甲斐ない試合に激怒し乱入。巨人の胴上げは宿舎で行う。

1974年 - 看板広告を変更。

1979年 - センターバックスクリーンに2面広告装置「トライビジョン」完成。1997年に4面広告装置「ペンタビジョン」に変更。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen