内野グラウンドは独特の黒土である。鹿児島、鳥取、大分など日本国内の黒土と中国福建省の白砂をブレンドしている。季節の雨量や太陽光量などを考慮し、春は白砂を多く(黒土5.5:白砂4.5)、夏は黒土を多く入れる(黒土6:白砂4)などしてブレンド具合を変えている。内野で激しい動きを見せるボールの行方を、球場観戦者にも見えやすくするための配慮である。 高校野球では敗戦するとこの土を持ち帰ることで有名。しかし、戦後しばらくの沖縄県の球児は土を持って帰っても検疫の観点上、海上で投棄するなどの処分を求められ、沖縄県に持ち帰ることは出来なかった。
外野グラウンドは、日本のプロ野球の本拠地としては稀少となった天然芝である。開場当初は外野も土のグラウンドであったが、1928年12月から1929年2月にかけて張り付けられた。
1982年からオーバーシードといわれる芝の二毛作方式を採用している。夏芝「ティフトン」と冬芝「ペレニアル・ライグラス」を用いることによって、一年中芝生でプレーできるようになった。夏芝から冬芝への張り替えが9月下旬から10月上旬、冬芝から夏芝への張り替えが4月下旬から5月上旬である。
通常、球場のフェンス際は芝の育成が難しいためにウォーニングゾーンも兼ねて土となっているが、甲子園ではフェンス際まで芝が張られておりウォーニングゾーンは白線を引くことにより設けている。
ただ、内野のバックネットやベンチ周辺の芝は人工芝となっている。
マウンドピッチャーマウンドのプレート後部蛇口を使用して内野グランドの水撒き作業
ピッチャーマウンドのプレート後部には、放水用の蛇口がある。高校野球の試合前に、7〜8人の整備員が一列に並んで内野全体に大型のホースで水を撒いている姿がよくテレビで放映される。この水は井戸水で、海から近いために若干の塩分を含んでおり飲用には適さない(夏の高校野球名物「かち割り」に使われる水は六甲山系の天然水を用いている)。かつて、近畿で真夏に異常渇水に見舞われた時、井戸水を使用していることを知らない人たちが「水の使いすぎ」と問題視したこともあった。
外壁を覆う蔦は1924年12月に植栽された。正面の7号門と8号門の周りには日当たりの悪いところでも生育しやすいウコギ科の蔦を、その他の部分は冬に葉を落とすブドウ科の蔦を採用し、阪神園芸の手で管理されている。かつては約430株ほどが植えられ、葉の総面積はおよそ畳8000畳分あると言われた。 リニューアル工事のため今は蔦はない。その代わりに、蔦をイメージした緑のパネルで覆われている。蔦は、2000年(平成12年)に高校野球20世紀メモリアル事業の一環として全国の高校野球連盟加盟校4170校に配布され、現在も育てられている。そのうち生育状態の良い苗が233校から集められ、2008年6月14日、「蔦の里帰り」として甲子園に植えられ始めた。約10年がかりで緑の甲子園が戻る予定。
球場の歴史
1924年7月31日 - 西宮市の武庫川の支流である枝川、申(さる)川を廃川とし、その川沿いに埋め立てられた場所に完成。国内の球場では参考に成る物がなく、アメリカ合衆国ニューヨークにあったニューヨーク・ジャイアンツの本拠地・ポロ・グラウンズをモデルに設計されたと言われている。完成するまでは紅洲(べにす)遊園地と名づけられていたが、この年の正月に阪神電車関係者が西宮えびす神社に参拝した時に十干十二支の最初の組み合わせに当たる甲子年(きのえねのとし)が60年に1度来ると言う縁起の良い年である事から後に阪神電車甲子園大運動場(はんしんでんしゃ こうしえんだいうんどうじょう)と命名された。当初は陸上競技場としても利用される事を念頭に設計され、また内野席全体(現在のアルプススタンドを除く)に鉄傘が設置され当時の大きさから大鉄傘といわれた。?落としは阪神間学童運動会。同年夏から全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の主会場となった。12月に蔦が植栽される。
1925年 - 初代スコアボードを正式開設。(仮設板を入れると2代目)
1929年 - 内野東西スタンドが木造から、鉄筋コンクリート50段、高さ14.3mに改築。その夏開催された中学野球の折、観客の着衣でスタンドが白く映え上がって見えた事から、当時の人気風刺漫画家・岡本一平(岡本太郎の実父)が、朝日新聞に「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ(外スタンドはまた素敵に高く見える、アルプススタンドだ、上の方には万年雪が有りそうだ)」とイラスト入りの投書を寄せたのをきっかけに、「アルプススタンド」の通称が付く[3]。
1930年 - アルプススタンドにも鉄傘がかけられ其の大きさから超大鉄傘へと変わる(1943年に撤去、以来復活していない)。
1931年10月1日 - 三塁側アルプススタンド下に温水プール開場(1937年、甲子園プール完成に伴い閉鎖・現在は3塁側のブルペンに其の姿を変えているがブルペンの至る所にプールだったと言う証拠が分かる)。
1934年 - 外野中央に2代目スコアボード完成(仮設板を入れると実質3代目スコアボード(通称・軍艦形))。
1935年 - 日本で4番目(現存する球団では2番目)のプロ野球チーム「大阪野球倶楽部」設立。甲子園をフランチャイズとする。
1936年 - 外野東西スタンドが木造から、鉄筋コンクリートに改築。「ヒマラヤスタンド」の愛称がつけられた。グラウンドが現在の両翼96m(95mとも)、中堅120mとなり現在の形となる。
1943年 - 太平洋戦争に伴う金属類回収令のために鉄傘が供出される。
1945年 - アメリカ軍に接収されたため、1946年度のプロ、高校の各種野球の公式戦の開催が出来ず(西宮球場で代替)。
1947年5月26日 - ラッキーゾーン(外野のフィールドに本塁打が出やすくするように設ける金網柵)の設置工事が完了。両翼が91mとなる。この年スタンド・グラウンドのみ接収が解除される。
1948年 - フランチャイズの暫定導入に伴い、タイガースだけでなく南海ホークスも本拠地として使用した(本来は大阪府の中百舌鳥球場を使うところだが、施設上の問題から公式戦では使われず、当球場を使用した)。