他の球場の多くが代打のポジションを「H」・「PH」、代走のポジションを「R」・「PR」としているのに対し、甲子園では代打は「打」、代走は「走」と漢字表記しているのも特徴である(オープン戦等でDH制の場合、指名打者は「DH」、投手は「P」[5]と表記される)。
ポジションや得点部分で使用される数字の「3」には平仮名の「ろ」に似た形のものが用いられている。
2003年9月15日には、阪神のサヨナラ勝ちでマジックを1としたデーゲーム終了後、マジック対象チームであるヤクルトの試合(対横浜)がオーロラビジョンで中継された。このときビジターチームの選手名が表示される部分の1番打者〜9番打者のところに横浜・ヤクルト戦の1回〜9回のスコアが、また10番目(DH制のときに投手名が表示される)のところに合計得点(計)が表示された(このときイニングの数字と計の文字は緑色で表示された) ⇒[1]。
甲子園球場ではフェンス、スタンド、ベンチに広告看板を掲出しているが、高校野球の全国大会期間中は日本高校野球連盟との取り決めで外野フェンス、バックネット付近、ベンチについては広告をシートで隠している。
外野フェンスに関しては、選抜高等学校野球大会時のみ、歴代優勝校の校章と校名、優勝回が書かれた白い校板を掲示していた。この校板は1932年の第7回大会から掲示されていたが、1984年の第56回大会2日目第1試合に行われた佐賀商対高島の試合において、外野でワンバウンドしてラッキーゾーンに入る本来ならばエンタイトルツーベースとすべき当たりを審判はホームランと判定してしまう事件が起きた。校板が白くて大きいためにボールが見えにくかったためである。このために、翌日からは校板は取り外されることになった。
フェンス部分は1983年夏の大会まで内外野全て脱着式だったが、1984年に内野部分にラバーが貼られる様になってからは内野部分の広告はそのまま露出し、外野部分とバックネット付近の広告を外す(隠す)ようになった。
1992年にラッキーゾーンが外され外野にラバーが貼られると大会名の入ったグリーンのシートで広告を隠している。
(例)通常主催者のクレジットは左中間、大会名は右中間のフェンス部分に表示される
春の大会 主催 日本高等学校野球連盟・毎日新聞社 第○回選抜高等学校野球大会
夏の大会 主催 日本高等学校野球連盟・朝日新聞社 第○回全国高等学校野球選手権大会
なお1995年選抜大会には阪神・淡路大震災の復興を祈念する文言が左中間側に、2008年の第80回大会記念には「今ありて未来も扉を開く」という大会歌今ありての歌詞の一部が右中間側にそれぞれ掲示されている。
なお、高校野球の兵庫県大会、あるいは1998年に開かれた「アジアAAA(トリプル・エー)野球選手権大会」(アジアの高校生年代の野球大会)の時は広告フェンスを隠さず、通常と同様の状態で試合を行っている。
本塁後方のフェンス広告(2ヶ所)は2004年まではカネボウが、2005年からは江崎グリコおよびグリコ乳業が広告を出している。2005年から幕巻き取り式による電動で広告パターンを複数出せるようになった(商品名などをチェンジ出来る)。なお、オールスターゲームの時のみ協賛企業(三洋電機→マツダ)の広告となる。
バックスクリーンには三菱電機が広告を出している。バックスクリーン部分の広告は試合開始前、攻守交代時、本塁打時、試合終了後に点灯する。バックスクリーン下部(ペンタビジョン)の広告(1979年から2004年まではカネボウ、2005年からはグリコグループ)は電動により5種類のパターン(但しそのうち1種は試合中に使用する緑一色のパターンなので、広告として使用できるのは4種類)を掲示することができる。本塁打時には周囲の電飾が点滅するとともに「ホームランおめでとう!」のパターンが掲示される。
2007年現在の広告パターンは、「(ポスカムの商品写真(クリアドライ))」、「(ポスカムの商品写真(フレッシュライム))」、「デンタルガムは、ポスカム。」、「ホームラン おめでとう!(岡田准一の写真入り)」。
本塁後方のフェンス、バックスクリーンの広告看板の露出はプロ野球時のみ。
甲子園と社会人野球
阪神タイガース、そして高校野球の聖地として有名な甲子園だが、過去に社会人野球の大会もあった。1973年まで行われていた日本産業対抗野球大会(サンベツ)が廃止されたことを受けて新たに作られた「社会人野球日本選手権大会」の1974年第1回から1979年第6回までの大会を当球場にて行った。それ以後は社会人野球の公式大会は行われていない。
基本的には野球以外のスポーツイベントに使うことがない当球場であるが、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールといったフットボール競技に用いられることもある。
関西と関東それぞれのアメリカンフットボール学生リーグの優勝チーム間で東西大学王者を決定する甲子園ボウルが毎年12月に開催される。内野の一部やファウルラインに天然芝を敷設し、観客席として仮設スタンドが設置される。
1925年から1928年(うち1927年は大正天皇が1926年末に崩御したため取りやめ)には「日本フートボール大会」(現・アソシエーション式は全国高等学校サッカー選手権大会、ラグビー式は全国高等学校ラグビーフットボール大会)が行われた。
1994年2月19日に日本フートボール大会以来66年振りとなる、サッカーの試合が開かれた事がある。