阪神・淡路大震災
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約5000人は木造家屋の下敷きで即死

死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死した。特に一階で就寝中に圧死した人が多かった。また2階建て木造住宅の場合、屋根瓦と2階の重みで、1階の柱が折れてつぶれるケースが多かった。 2階の場合は、生存のスペースが残りやすい。建物が倒壊しても生存のスペースがある場合は、死者は少なかった。 老朽木造建造家屋がなければ、死者は1/10になっていたと言われる。


約600人が家具の転倒で圧死

震災の犠牲者6434人のおよそ1割に当たる約600人が、室内家具の転倒による圧死と推定する調査(山口大学・大田教授のグループ)があった。


瓦屋根、木造、日本家屋の危険性

日本瓦を使い、基礎が石に柱を載せただけで、筋交いの少ない老朽化した木造住宅でも多くの死者が出たため、以降、神戸においては新築の屋根はほとんどみられなくなった。日本の伝統構法の流れを汲む木造軸組構法の住宅に被害が集中し、新しい住宅においても筋交いなどが不十分であった物件は大きな被害を受けている。坂本功著の『木造建築を見直す』という書において「死亡者のうち5,000人近くは、軸組構法の住宅の下敷きによって圧死した」と述べている。しかし重要なのは、「構造的に問題のある建築に瓦屋根のものが多かった」ことにも拘らず、一般的には「瓦が重いから問題」であると誤解され、地震以降、関西では瓦屋根が少なくなってしまった。倒壊した家屋

古い木造住宅は年月の経過によって乾燥している点や、耐火材を使っていないなどの理由による火災の被害も多い。これは、神戸地区の木造住宅は、地震よりも台風に対応した木造住宅であり、振動に弱く瓦部分が重かったことにも起因している。なお、筋交いを多く入れてある木造住宅においては耐震性も十分にある。また、同じ木造住宅でも、プレハブやツーバイフォー(木造枠組壁構法)と呼ばれる構法の住宅が耐震性を示している。3階建住宅の被害も殆どなかった。


建築基準法

耐震性を考慮に入れて建築基準法が改正された1982年以降に建築された物件の被害が少なかったことが報告されている。結果的に、改正された建築基準法の有効性が証明されることになった。倒壊して死者のでた住宅は、1982年以前の建築物件で、当時の建築基準法により、設計されていて耐震性が弱かったともいえる。震災後も、1996年、2000年、2006年に建築基準法は改正されている。


危険な合法住宅の問題点

違法かどうかは、建造時の建築基準法が適用されるため旧い住宅の場合は、 耐震性が無く危険な住宅であっても違法とはならない。

耐震性のない住宅が、合法であるため多くの犠牲者が出たと言われている。 日本では耐震性のない古い木造住宅が1000万戸有ると言われている。


復興

全国からさまざまな形の「救援・支援」が寄せられている。救援物資・義捐金・ボランティア活動のほか、インフラストラクチャーの復興には他府県の電力会社・ガス会社などの多くの職員が復興応援のために現地入りした。


街の復興

復興事業は、ライフラインの復旧を最優先として行われた。電気は、早期の復旧が可能であったが地下に埋まっている水道・ガスの復旧に時間が掛かり、4月末まで続いていた。

復興支援物資の輸送も全国各地において受付けられた。また、交通網も至る所で寸断されていた。大量の復興支援物資を早急に送るため、復旧よりも残された道路を優先的に整備して被災地と大阪市を結んでいた。

神戸近郊の道路においても、「神戸市に行く」と言えば交通整理などで最優先に通行させてもらえるなど復興活動を支援する場面が見受けている。

建造物の本格的な復興事業が開始されたのは翌月に入ってからである。この頃には多くの機材・人材が全国から駆けつけて瓦礫の撤去や再建をサポートしていた。

ウォーターフロントの地盤が陥没した岸壁に仮設の桟橋を設けて大阪と神戸を結び、疎開する人・復興支援者の負担を少しでも軽減する努力を行っている。また、残された海岸を利用して医療物資などの搬入を優先的に行っていた。多くの手助けのもと、2年後の1997年3月31日に、全ての埠頭・コンテナバースが復旧した。そして、同年5月19日に神戸港復興宣言が発表された。


復興支援活動

3月7日には、東京日本武道館にて有志のミュージシャンによるチャリティーコンサート「MARCH OF THE MUSIC」が開催されて収益が全額寄附された。公演に参加しなかった多くのミュージシャンも、自らのコンサートやラジオ番組での募金などの取り組みがなされた。復興と重なり合って日本のジャズ教育が活発化する拠点ともなっている(神戸はジャズが日本での第一歩を記した地として知られる)。

中央競馬では6月3日、4日の京都競馬(1月21日、22日中止分の代替開催。4日にはGI宝塚記念が行われた)、翌年1996年7月7日の中山阪神(前年同様宝塚記念が組み入れられた)、札幌競馬が復興支援開催として催されて馬券の売り上げの一部が寄附された。

当時放送がスタートしたばかりの「とんねるずのハンマープライス」(関西テレビ制作・全国ネット)では、番組開始後すぐに震災が発生したことから、番組のコンセプトである落札で得た収益を「震災復興支援資金」として日本赤十字社等を通じて寄贈することとなった。チャリティーオークションの盛んな欧米の著名人から出品の協力を得られることにもつながり、日本にチャリティーオークションが広く知られる機会にもなった。


ボランティア活動

地震直後に現地において被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は一日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われる。被災地でのボランティア活動(専門ボランティア・情報ボランティアを含む)の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まった。現地には行かずに被災負傷者の為の献血義捐金拠出・物資提供などの後方支援に携わった人々も含めると参加人数はさらに増えるものと見られる。

このために、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われる。後に、内閣は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めた。


防災震災当時の状態が保存されている神戸港震災メモリアルパーク


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki