阪神・淡路大震災
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復興組織

関東大震災が起こった際の帝都復興院に相当する組織となる阪神・淡路復興対策本部が、2000年までの5年間総理府に置かれた。戦災復興都市計画による土地区画整理事業が完了しようとしていた時期に震災が起こり、また、戦災を免れたことによって戦前からの老朽木造住宅が密集して残っていた地域に特に甚大な被害が見られたため、神戸市は戦災復興の延長線として震災復興を捉えた[12]。復興に当たっては、1976年10月29日に発生した酒田大火の復興事例が短期間での都市復興の事例として参考にされた。
単なる災害前の街への復旧ではなく、道路幅の拡幅など大掛かりに区画変更を行い、緑地を多く取って緩衝地帯を設定する事

その実施に当たっては、単なる上意下達ではなくアウトラインのみを地元に提示して細部については地域住民の声を聞いて合意を形成をしながら、街全体を短期間のうちに、一気に防災型の都市に変える事


避難生活

家が全・半壊した住民は学校や公共機関の建物に避難した。

被災地の学校の多くは休校。被災者は、体育館・教室などで寝起きした。また、公園にテントを張ったり、自家用車において寝起きしたりする人もいた。震災当初は、公的な避難所として学校等の公共施設を避難所として認めて食料・飲料水の配布がされていたが、その後、公園への避難者が形成していたテント村についても食料等の配布が行われるようになった。

震災発生後1か月を経て、仮設住宅が建設されて入居が始まった。しかし、その多くが被災地を離れた郊外や周辺の自治体に建設されたために避難所から仮設住宅への移行が進まなかった。学校等の避難所は、4月以降の授業開始にあわせて解消するために、都心部での仮設住宅の建設や学校等避難所から待機所への移行を促す措置がとられた他、復興支援住宅と呼ばれる恒久住宅の建設が兵庫県によって行われた。また、民間の住宅を借り上げて被災した住人への提供などが行われた。

これらの被災者向けの住宅の供給については、各市町村によって発行された罹災証明書が入居の根拠とされた。その証明を行うための調査が短期間のうちに少人数によって行われたこともあり、その精度の荒さが指摘されている。


交通網


鉄道

兵庫県などを走る阪急電鉄阪神電気鉄道山陽電気鉄道などが震災による甚大な被害を受けた。

西日本旅客鉄道(JR西日本)も同様の被害を受けているが、資本力の違いと、旧国鉄線であったため線路脇に余裕があり作業が行いやすく、強固なJRグループの結束力で、全国から応援を呼んだことから急速な復旧を遂げて最初に運行を再開した。複々線であった東海道本線(JR神戸線)は、地震発生から74日後の1995年4月1日複線での運転を行う方法で不通区間を解消、山陽新幹線も震災が起こった直後に橋脚が倒壊して新大阪駅姫路駅の間が不通となっていたが、81日後の同年4月8日に不通区間を解消した。

私鉄では、電鉄が地震発生から約5ヶ月後(146日後)の同年6月12日、山陽電気鉄道が阪急電鉄の不通区間解消から6日後(地震発生から152日後)の同年6月18日、阪神電気鉄道が阪急電鉄の不通区間解消から2週間後(地震発生から160日後)の同年6月26日、そして阪急・阪神・山陽の各社が相互乗り入れする神戸高速鉄道は地震発生から約7ヶ月後(208日後)の同年8月13日に不通区間を解消した。阪神に関しては三宮?高速神戸間でピストン運転をしていた。このピストン運転は被災者の大きな足となった。

JR・私鉄など各社間で、連携して行われたバスや他社鉄道線による代替輸送は不通区間の解消とともに順次終了された。4月の段階で、最初に不通区間を全て解消したJRは、新年度の定期券発行でも優位な状況となり、その結果、利用者のシェアはJRへとシフトする形となった。

復旧に至るまでの間、東海道本線と山陽本線を経由して九州へ向かう貨物列車は、福知山線?山陰本線?伯備線山陰道)のルートを経由して大回りで貨物列車を運転した。

東海道本線、山陽本線が分断されたために、電車車両をディーゼル機関車を使って当時は電化されていなかった加古川線を通過、もしくは、播但線・山陰本線を経由して福知山駅まで回送した。新幹線は、JR東海、JR西日本ともに車両が他社区間に閉じ込められたために復旧するまでお互いの車両を使用することとした。


道路

道路でも、中国自動車道や国道43号・国道2号は、復旧のための車線規制による渋滞が起こり、特に、高架が崩落した阪神高速道路神戸線(第二神明道路姫路バイパスなども通じ、大阪?姫路間の連絡道路となっている)は、ながらくの間不通となった。このため、復旧までの期間には、国道9号国道372号国道27号に長距離トラックや長距離バスが殺到した。

中国自動車道では、吹田JCT西宮北ICの間が不通となった。このことから、近畿地方内で京阪神を経由せずに、亀山東海道沿線)や米原中山道沿線)から姫路(山陽道沿線)まで行くには、北近畿敦賀から和田山までを通らなければ迂回できないということが指摘されている。また、近年、論議がかまびすしい道州制においても、この北近畿迂回路の存在から「地域的・交通的問題を解決するには、交通的一体性を重視した枠組みにすべきだ」という意見が出されている。


海上

神戸港には、フェリーなどが四国九州方面を中心に多く発着していたが、各発着所が壊滅的な損害を受けて使用不能に陥ったため、一時的に大阪南港などに発着地を変更して運航されていた。陸上輸送が麻痺状態に陥っていたため、四国・九州方面とを結ぶメインルートとして機能した。


報道・ネット

震災の情報は、報道に大きく取り扱われ、発生後約3日間、テレビ・ラジオはほぼ全てのチャンネルが、24時間震災関連の特別番組となり、コマーシャルも殆ど放送されなかった。

大阪に本社を持つ近畿広域圏の民放テレビ各局[13]は、地震発生から数日間は完全にCM枠を抜いて震災報道を全国に発信し続け、近畿圏以外でコマーシャルが流れるようになってからも近畿では一定期間CMを流さず、CM中にはライフライン情報を静止画で流していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki