耐震性を考慮に入れて建築基準法が改正された1982年以降に建築された物件の被害が少なかったことが報告されている。結果的に、改正された建築基準法の有効性が証明されることになった。倒壊して死者のでた住宅は、1982年以前の建築物件で、当時の建築基準法により、設計されていて耐震性が弱かったともいえる。震災後も、1996年、2000年、2006年に建築基準法は改正されている。
違法かどうかは、建造時の建築基準法が適用されるため旧い住宅の場合は、 耐震性が無く危険な住宅であっても違法とはならない。
耐震性のない住宅が、合法であるため多くの犠牲者が出たと言われている。 日本では耐震性のない古い木造住宅が1000万戸有ると言われている。
全国からさまざまな形の「救援・支援」が寄せられている。救援物資・義捐金・ボランティア活動のほか、インフラストラクチャーの復興には他府県の電力会社・ガス会社などの多くの職員が復興応援のために現地入りした。
復興事業は、ライフラインの復旧を最優先として行われた。電気は、早期の復旧が可能であったが地下に埋まっている水道・ガスの復旧に時間が掛かり、4月末まで続いていた。
復興支援物資の輸送も全国各地において受付けられた。また、交通網も至る所で寸断されていた。大量の復興支援物資を早急に送るため、復旧よりも残された道路を優先的に整備して被災地と大阪市を結んでいた。
神戸近郊の道路においても、「神戸市に行く」と言えば交通整理などで最優先に通行させてもらえるなど復興活動を支援する場面が見受けている。
建造物の本格的な復興事業が開始されたのは翌月に入ってからである。この頃には多くの機材・人材が全国から駆けつけて瓦礫の撤去や再建をサポートしていた。
ウォーターフロントの地盤が陥没した岸壁に仮設の桟橋を設けて大阪と神戸を結び、疎開する人・復興支援者の負担を少しでも軽減する努力を行っている。また、残された海岸を利用して医療物資などの搬入を優先的に行っていた。多くの手助けのもと、2年後の1997年3月31日に、全ての埠頭・コンテナバースが復旧した。そして、同年5月19日に神戸港復興宣言が発表された。
3月7日には、東京の日本武道館にて有志のミュージシャンによるチャリティーコンサート「MARCH OF THE MUSIC」が開催されて収益が全額寄附された。公演に参加しなかった多くのミュージシャンも、自らのコンサートやラジオ番組での募金などの取り組みがなされた。復興と重なり合って日本のジャズ教育が活発化する拠点ともなっている(神戸はジャズが日本での第一歩を記した地として知られる)。
中央競馬では6月3日、4日の京都競馬(1月21日、22日中止分の代替開催。4日にはGI宝塚記念が行われた)、翌年1996年7月7日の中山、阪神(前年同様宝塚記念が組み入れられた)、札幌競馬が復興支援開催として催されて馬券の売り上げの一部が寄附された。
当時放送がスタートしたばかりの「とんねるずのハンマープライス」(関西テレビ制作・全国ネット)では、番組開始後すぐに震災が発生したことから、番組のコンセプトである落札で得た収益を「震災復興支援資金」として日本赤十字社等を通じて寄贈することとなった。チャリティーオークションの盛んな欧米の著名人から出品の協力を得られることにもつながり、日本にチャリティーオークションが広く知られる機会にもなった。
地震直後に現地において被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は一日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われる。被災地でのボランティア活動(専門ボランティア・情報ボランティアを含む)の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まった。現地には行かずに被災負傷者の為の献血・義捐金拠出・物資提供などの後方支援に携わった人々も含めると参加人数はさらに増えるものと見られる。
このために、この年は日本における「ボランティア元年」とも言われる。後に、内閣は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めた。
防災震災当時の状態が保存されている神戸港震災メモリアルパーク。浜手バイパスの奥に見える阪神高速神戸線も倒壊した。2004年2月撮影
この地震が大惨事となった最大の理由は、老朽木造瓦屋根の住宅が多かったことであるが、その他の理由の一つに、近畿地方では他の地方に比べて地震の発生が少なかった事が挙げられる。地震の専門家の一部は、小さい規模の地震すら起こらないことで、エネルギー(歪み)の蓄積が起こっており、ひとたび地震が発生した場合には規模の大きなものになる危険性をはらんでいる事を指摘していた。
しかし、「近畿地方は地震が少ない。仮に起こったとしてもそんなに大きな地震ではないだろう」といった“実体験”による過信(ただし、歴史文献を紐解けば、実際には、近畿地方は、幾度も巨大地震に襲われている。「地震の年表」も参照されたい)から、「近畿地方では大きな地震は起こらない」とする誤まった認識の広まり、または、地震自体を意識することが少なく専門家の指摘を信用する人間も少なかった。
ゆえに、地震対策は震度5を想定しており、防災については地震対策よりもむしろ「阪神大水害」の教訓から水害を重視した防災計画が作成されていたとみられる。
それまでの大地震の発生する構造については、太平洋プレートやフィリピン海プレートが日本海溝や南海トラフにおいてユーラシアプレートの下に滑り込み、そのプレートの跳ね返りによって発生するもの(海溝型地震)ばかりが注目されて活断層のずれによる大地震の発生はさほど注目されていなかった。
実際に、これらのプレートの境界の近くに位置する東海地方においては、大地震(東海地震、東南海地震など)の発生する可能性が最も高い地域として防災訓練や建造物の補強など徹底した対策が取られてきた。その一方で、近畿地方では無警戒に近い状態であった。
北海道、東北地方、北陸地方などの豪雪地帯であれば、地震の多発地帯以外でも、「雪」という重量物が屋根の上に積み重なる前提に家屋が建てられるために、結果的に「地震」など揺れにも強い構造となることがいわれている。