神戸新聞社は地震により本社社屋が全壊 新聞編集用コンピュータシステム (CTS) の機器及び専用高圧電源が損傷し新聞編集が不可能になった しかし前年に京都新聞社と締結していた災害援助協定を利用したまたまつながった電話で情報を送り京都で見開き4ページの夕刊を編集し制作した 印刷用源版フイルム神戸市まで京都新聞の下請け運送会社の社員がオートバイで6時間かけて神戸市西区の印刷工場まで輸送し当日午後7時31分 夕刊発行に成功した その後全国の新聞社からの機材支援取引先の全面協力により10日後一部のシステム再稼働に成功
デイリースポーツは日本経済新聞及び関連会社の全面協力を受けて東京で紙面を作成し発行を継続した一方で、全国区を取り仕切る関東広域圏の対応は、上記の時間が過ぎてから概ね通常の放送体制に戻っていったが、それでも、ニュースやワイドショーといった多くの生放送番組、及び「地震から2週間」「1か月」「2か月」といった節目では、被災地の状況を伝えるルポを数多く伝え、被災者へのエールや義援金の呼びかけなどを行っていた。しかし、それ以外の局面では地震関連情報は全国放送から近畿広域圏のみに徐々に絞られていき、特に、約2ヶ月後の地下鉄サリン事件が発生してからは、この傾向は顕著となった。
震災当時、日本のインターネットにおいて商用利用、個人利用はまだ始まったばかりであったが、パソコン通信ネットワーク(「NIFTY-Serve」(現・@nifty)など)の掲示板や電子会議室が、被災者情報や大学の休講状況などの情報交換に役立った。以後、コンピュータネットワークの商用利用、個人利用に、マニア以外からも目が向けられるようになっていくこととなった。
行政による救助活動が遅れた一方、前述の組織・団体、特に宗教団体や暴力団などによる現場での救助・支援活動は、日本のマスメディアで報道されることは少なかった。諸団体の宣伝につながりかねないとの懸念からであった。
その中で、JNN(TBS)系が、地震から3日目の1995年1月19日にJNNニュースの中で、神戸市内に本拠を置く、日本最大の広域指定暴力団・山口組の総本部が備蓄していた大量の食料を地元住民に供出する様子を、「住民の苦渋の選択」として報道した。報道機関としては、山口組のPRにならないよう決して与しない慎重な扱いであったが、無数のヤクザに頭を下げながら一般市民が列をなして食料をもらう姿は、震災の過酷な現実の一断面を描くものであった。英・米など海外のマスメディアも追随し、BBCは「政府の救助活動は遅々として進まないのに、現地のマフィア(ここでは山口組を指す)が救助活動を行っている」と報道した。(注:三和出版『実話時代2008年2月号』で「外国メディアの方が日本のメディアに先んじて報じた」というのは、誤報ないしは虚報である。)
報道倫理に関わる問題として過剰な取材活動が挙げられる。地震発生直後、マスメディア各社が航空取材活動を開始しているが、地震直後から始まった航空映像によって首相官邸など被災地外の人々が地震の被害状況を素早くつかむことが出来た反面、この取材活動におけるヘリコプターによる騒音により、家屋の下敷きとなった被災者の声を聞き取れずに救助隊の初期活動の大きな妨げとなったとする指摘がある。1995年2月7日、衆議院地方行政委員会において、伝聞情報をもとに、この問題が取り上げられている。ただ、ヘリコプターの音で具体的に何人救出できなかったのかを科学的に検証したデータは存在せず、あいまいな部分もある。その後、関西の放送局間では、大災害発生時にはヘリコプターの飛行数を相互制限し、映像を各社で共有する方法などが検討されている。
また、一部の報道陣が被災者のための炊き出しを、取材のためと称して食したり[要出典]、夜明け前の避難所内の模様を、撮影用の照明で明るくしたりするといった光景も見られた[要出典]。
それに悲惨な様子のみを取り上げる報道も目立った。当時の日本銀行神戸支店長・遠藤勝裕がフジテレビの番組『日本のよふけ』(2001年10月7日放送)において語ったところによると、まるで神戸が壊滅してしまったかのようなマスメディアの報道ぶりを定例記者会見で批判し、「神戸には生き残った市民がたくさんいる。