官邸をはじめとする政府、国の機関も被害地域の惨状を把握するのにテレビ・ラジオが最大の情報源であったため、村山富市内閣総理大臣(日本社会党)の大規模派遣がなかなか指示されなかった事から対応が後手に回った。村山首相は、当初山花貞夫らの新党結成問題の解決を優先するほど壊滅的被害の被災地の状況が首相官邸に伝わらなかった。
「官邸をはじめとする政府、国の機関はもとより、地元の行政機関、防災関連機関にとってもテレビ・ラジオが最大の情報源であった。国土庁が独自に情報収集手段を持たず、また関係省庁からの情報の集約を十分に行えなかったことから情報が官邸に十分伝わらなかったという制度上の問題点が指摘された。」[5]
村山首相は、なぜ自衛隊派遣が遅れたのかを衆議院本会議において問われ、「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁。この村山内閣の対応の遅れは強い批判を浴び、内閣の支持率低下につながった。
出動した自衛隊も、交通渋滞や被災者がひしめく中で、部隊の移動・集結・宿営地の造営に手間取り、現地に到着したLC(Liaison Officer、連絡幹部)が状況を把握してから大規模な災害派遣部隊が現地に展開されて救助活動を開始するまでに3日間を要した(政治判断に3日を要したわけではない)。
最も早く救援体制を敷いた米海軍第7艦隊(横須賀)が、「艦艇を神戸港に入港させてのヘリコプターによる負傷者の救援」を政府に申し入れたところ、神戸市の受け入れ体制の未整備、政治的理由、接岸施設の被災による危険性などの要因により、拒否する事態を発生することとなった。しかし、この対応が特別であったわけではなく、当初から、各国からの支援の申し出にも政府として対応できていなかった。
日本が地震多発地帯であるにもかかわらず、前述の被害地域の惨状を把握する手段が十分に講じられていなかったこと、危機管理体制の欠如、縦割り行政といった行政上の様々な弊害が現れた。
兵庫県からの自衛隊への災害派遣要請が、発生後4時間以上も後であったことは前述のとおりであるが、県知事からの派遣要請がなされていない事を知った高見裕一(新党さきがけ議員)も、携帯電話によって東京の議員会館にいる秘書を通じ、防衛庁に緊急要請を行った際、東京では「“大げさだ”」「非公式」「未確認情報」との認識しかされていなかった。[6]
国政の対応が遅れる一方で、神戸に本社を構えていたスーパーマーケット大手のダイエーや、コンビニエンスストア大手のセブン-イレブン、当時ダイエー傘下だったローソンなどの小売企業は、地震発生3時間以内に救援物資や食料などを他地域からヘリ空輸するなど、非常に早い対応を行った。一部の露店などで見られた、食料品などの異常な値段高騰のストップにも一役買っている。
支援活動としては、一番乗りの救世軍、神戸に総本部を置く日本最大の暴力団組織・山口組、阪神地域で強い影響力を有する宗教団体のPL教団や創価学会といった組織・団体が、食料や飲用水の供給・トイレ・風呂・避難場所の提供などの積極的な支援を行った。その他、石原プロの渡哲也社長・渡瀬恒彦兄弟や、河島英五、嘉門達夫、ジャイアント馬場と言った関西にゆかりがある芸能タレント・文化人も現地入りし、炊き出しや支援を個人単位で行った者もいる。三宮 東門辺り
この災害によって消防・レスキューの得た経験は、消防無線における全国共通波の増波、緊急消防援助隊や広域緊急援助隊、消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)、救助機動中隊の発足と整備につながる。後の、新潟県中越地震(2004年10月)やJR福知山線脱線事故(2005年4月)においても大きく貢献することとなった。また、1995年3月の地下鉄サリン事件と合わせ、自衛隊の災害援助の意味での機能が注目され、国民の自衛隊に対する好感が、震災以前と比べて格段に大きくなり、自衛隊が必要であるという世論も大きくなった。
一方で、災害援助では装備や組織の問題によって充分に機能し得ないので「必要な組織は、装備のほとんどが武器・兵器の自衛隊ではなく災害救助隊だ」という意見や、「蓋然性の低い大災害に対応する官僚組織を戦争・災害の別建てで設立するのは予算の無駄であるので自衛隊の災害救助装備機能をもっと充実させるべきだ」という意見も出されている。[7]
さらに、報道陣に怠慢を責められて「まさか、関西で大地震が起こるとは思わなかった」という(「まさかの大災害」への平時からの準備が重要という危機管理の初歩を理解していない)釈明をしたために新聞などによって批判をされた。しかし、これは当時の自治省の指導にも不備があったうえ、現在においても自治体の防災規定に対する総務省の指導は不徹底で、同様の事態が別の自治体で起こりうるとの指摘もある。さらに、多くの死者が出たにも拘らず、地方・国官僚制内部での追跡調査と不作為責任の追及はうやむやにされて報道陣の前で頭を下げただけで終わっているとの指摘もある。
竹下内閣からこの村山内閣まで、7人の総理大臣に仕えた元内閣官房副長官・石原信雄(現・官邸機能強化会議座長)は「前例のない未曾有の災害で、かつ法制度の未整備な状態では、村山以外の誰が内閣総理大臣であっても迅速な対応は不可能であった。」と述べた。[8]
震災から12年経過した2007年の政府・官房長官の記者会見においても「多くの犠牲になられた方々に改めてご冥福をお祈りしたい。防災体制はあれ以来、強化を図っているが、改善に改善を重ねていかなければならない」と述べた。当時、大きな問題点として指摘された政府の危機管理体制については一定の改善が行われたとの認識を示したうえで「十分ということはないのでいつも反省をしながら改善していく」と語った。
政府による支援が遅れた一方で、前述の通り民間による支援活動は積極的に行われた。
自治体には、震災での建物の崩壊による圧死などの直接の死亡原因だけではなく、被災者が避難したあとの持病の悪化や停電による医療機器の停止による死亡などといった間接的な原因での死亡も関連死(認定死)として認定をするか審査する委員会が置かれた。