そごう神戸店も本館が半壊した部分の解体撤去(この撤去した部分が現在のサンファーレ広場となっている)を含めた復旧工事の末、1996年4月28日に全館オープンした(新館と本館地階はそれ以前から再開していた)。
また、大丸神戸店は、本館の3階部分が倒壊したために取り壊して新館として再建。西館についても全面改装を施して1997年3月に復興グランドオープンした。
一方で、三宮阪急は、入居していた神戸阪急ビル東館の上層階が崩落する全壊のため解体撤去することとなり震災5日後に閉店に追い込まれたのちに、ついに再開されることはなかった(ただし、震災前の1992年に神戸ハーバーランドに神戸阪急が開店している)。
やや離れた大阪市でも北浜の三越大阪店の本館が被災して解体され、売場面積を大きく減らした。これが10年後の2005年に閉店する一因となった[14]。
その他
同震災で、被災者らが避難生活中にどこでも使えるカセット式のガスコンロを調理などに利用していたが、当時のカセットコンロは燃料用ボンベが各社独自方式であったために、被災者間において燃料ボンベの貸し借りができずにメーカー側に疑問が呈された。このために、各社ごとの規格からメーカーが違っていても同じ規格のガスボンベが利用できる様に改められている。今日では、燃料用ボンベを専門に扱うメーカーが登場、カートリッジ式のボンベは普通サイズと小型サイズの二種類のみ(キャンプ用フィールドクッカーを除く)となり、どこのメーカーのボンベでも問題無く利用できるようになっている。
日本国郵政省(現在の日本郵便)が、1995年4月20日に阪神・淡路大震災寄附金付切手を発売した。これは額面80円の切手を100円で販売し、差額の20円を震災支援の寄付金としたもので額面は「80+20」と表記されていた。ただしデザインは準備が間に合わなかった為、例年発行されている「切手趣味週間」の切手に便乗する形になった。そのため、金島桂華の『画室の客』という絵画が ⇒デザインであり、被災地に全く関係ないものとなった。
その後、郵政省は2000年12月22日発行の「20世紀デザイン切手」の17集のなかで、同震災の事を題材にした切手を ⇒発行している。デザインは復興のシンボルとされた手塚治虫の「火の鳥」と阪神・淡路地区の地図と倒壊した高速高架道路をイメージしたものであった。
日本銀行神戸支店は震災による金融パニックを防止の為、支店長が独自判断で大蔵省及び日本銀行本店に対して金融特別措置発令を要請。本人確認が取れれば、通帳や印鑑なしでの預金引き出しを可能にしたほか、支店の二階に被災した銀行窓口を開設し、破損したり燃えた紙幣の交換等の業務を行い、パニックを防止した。
マスメディアなどが略称として「阪神大震災」と報じていたことに疑問を持つ被災者もいる。大都市・大工業地帯・観光都市の一つである神戸・阪神地区だけが壊滅的な被害を受けた様に表現され、同様に甚大な被害をうけた淡路島北部や明石市、などが考慮されていないからである。
そのために、「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになってはいるが、この表現でさえ明石市は含まれていないとして同市の広報資料などでは「兵庫県南部地震」を震災の呼称としている。
大阪府下では、豊中市を除くとそれほど大きな被害が生じていないにもかかわらず、「阪」の文字が入っているのは、兵庫県内における地域区分である「阪神」間(灘区・東灘区・芦屋市・尼崎市・西宮市近辺)における被害が甚大であったためである。なお、豊中市では南部を中心に甚大な被害が出て、死者が9名出て、避難所暮らしを余儀なくされた人も多い。
朝日新聞や系列のスポーツ新聞日刊スポーツでは、翌日の1月18日の段階では「関西大震災」の呼称で報道した[15]。
追悼行事1.17追悼行事(東遊園地)1.17希望の灯り(東遊園地)
毎年1月17日は、東遊園地などの広場・協会などにおいて式典が行われている。発生時刻の午前5時46分と、その12時間前と12時間後の午後5時46分に黙祷を行う。また、伊丹市昆陽池公園では、発生時刻の12時間前にあたる16日午後5時46分に黙祷を行い、ロウソクを発生時刻にあたる17日午前5時46分まで点灯している。神戸市中央区三宮にある東遊園地では広場に6,000本の灯篭で模った「1.17」を北側の神戸市役所庁舎を正面に掲示される。また、この灯篭が消えた場合は、式典開催者は手をつけずに、訪れた人々にろうそくを渡して点火してもらっている。灯篭は毎年若干の違いがあるものの5時から21時まで点火されている。
また1995年より毎年12月に、鎮魂と追悼・街の復興を祈願して神戸ルミナリエが開催されている。
被災地が即急に復興できたのは多くの支援者・ボランティアのおかげであったため、被災者は今も支援者に感謝の気持ちを声明や催し物によって示している。また、神戸市はこの支援活動の教訓や当時の恩返しの意味をこめて新潟県中越地震やスマトラ島沖地震の時はどこよりも人材、資材などの援助を行ってきている。また、防災事業では、現在においてもこの震災を例に挙げられることが多く防災事業の原点となりつつある。
臼井真作曲・作詞の『しあわせはこべるように』という歌が復興の歌として取り上げられることが多く、追悼行事でも多く歌われている。
耐震性の小さな建造物に被害が多く発生したことを受け、消防庁では公共施設の耐震改修を指導している。
しかし、「阪神・淡路大震災」の起こった兵庫県でさえ、公共施設の耐震化率は48.3%にとどまっている。東京78.1%(消防庁 2003、各都道府県耐震改修状況)に比べて耐震化は遅れている。さらに、民間の会社施設・マンションにおいての耐震化率はきわめて低いのが現状である。
さらに、ほとんど犠牲者が出なかった公共施設の耐震化は進んでいるが、犠牲者の80%以上を出した民間の耐震性のない木造住宅の耐震補強はほとんどなされていないのが現状である。
また、震災の犠牲者6434人のおよそ1割に当たる約600人が、室内家具の転倒による圧死と推定する調査(山口大・大田教授のグループ)があったことから、震災発生後しばらくは「家具転倒防止金具」を購入する人が多く見られたが、今では普及が鈍化している。
救助
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