江戸時代には、江戸幕府や諸藩が、軍事・警察上の必要から再び関所を設置した。主な関所には、東海道の箱根関や新居関や鈴鹿関、中山道の碓氷関や福島関、甲州街道の小仏関、日光街道の栗橋関などがある。 これら関所は幕府直営では無く近隣の大名や旗本などに業務委託されていた。 関所の番人は陪臣身分ではあったが幕府の役人であっても祝儀名目の通行料を支払わされるなど大変な権勢を誇った。
これらの関所を通行しようとする者は、通行手形を提示し、関所による確認を受けた。特に江戸から西方へつながる東海道沿いの関所では、女性と鉄砲の通交が厳しい制限を受けていた。これを「入鉄砲出女」と言うが、江戸在住の大名の妻が密かに領国へ帰国することと、江戸での軍事活動を可能にする江戸方面への鉄砲の流入の2つが、幕府によって厳重に規制されたのである(童謡「通りゃんせ」)。また、芸人や力士などは通行手形の代わりに芸を披露することもあった。関所破りは重罪とされ、磔刑に処せられた。しかし実際には関所役人も関与した宿場ぐるみでの関所破りが常態化していたという。
日本における関所は、1869年(明治2年)に完全に廃止された。
関連項目
日本の交通
関銭
街道
通行手形
出入国管理
カテゴリ: 関所 | 税制史 | 日本の制度史
更新日時:2008年9月17日(水)23:52
取得日時:2008/10/05 11:16